会社概要

会社名 株式会社谷口屋工務店
住所 〒669-6102 豊岡市城崎町桃島1261-2
電話 0796-32-3211
FAX 0796-32-3213
メール taniguchiya.yusuke@gmail.com
代表者氏名 六浦祐輔
建設業許可  (般-28)第650014号
歴史 屋号成立:寛政年間
法人設立:昭和38年4月1日

 

弊社の屋号「谷口屋」は1799年の「温泉寺年中行事帖」の中に最も古く確認することができます。

その温泉寺年中行事帖にある当時の城崎温泉の商店59店の内、現存する屋号は10軒となりました。

当時は場所も現在とは違い、業種も旅館(木賃宿)だったということです。

時代が移り変わり、明治に入ると大工の棟梁の家系となり今の職業となりました。

大正14年北但大震災後の城崎温泉の復興に尽力し、今に続いています。

旅館建築や住宅建築を主に置きながら、店舗工事や公共工事と各種保守メンテナンスを通じて城崎温泉の発展をこれからも支えていきます。

 


最近の投稿

10年前の思い

FaceBookの機能に「思い出」があります。

この機能は〇〇年前の今日、こんな投稿していますよ、と教えてくれるもの。

 

10年前の6/19は東北に行っていたようです。

10年前といえば東日本大震災があった年。

 

直後から、ボランティアや寄付活動が全国的に展開されました。

私も商工会を通じてほんの微力ながら支援を始めました。

豊岡市も職員を派遣したりしました。

(連中のたっちゃんも市の職員として約1週間現地へ赴いていました)

 

 

それとは別のお話です。

私は城崎泉隊オンセンジャーというローカルヒーローの活動を町の有志でやっています。

そのメンバーの中に、たまたま真言宗のお坊さんがいます。

温泉寺の当時副住職だった小川祐章さんが我々に言いました。

「なんか、やろう!自分たちにできること」

同じ高野山真言宗のお寺さんが南三陸町でボランティア拠点をされているということでした。

物資を送るのが良いのか?寄付を集めるのが良いのか?ボランティアに訪れるのが良いのか?

 

震災から2か月が過ぎ、全国から色々送られてくるものの、必要不必要、配送の関係、難しい現状があるようでした。

そこで我々が考えたのが城崎ならでは、「縁日」を避難所に持っていこう!ということでした。

それに何の意味があるのか?

その日、その瞬間だけでも子ども達やその家族の笑顔見られたら、それでいいじゃないか!

難しいことは考えてもしょうがない。まずはやってみることです。

 

そして東北に行くことになりました。

決行にあたっては豊岡市や、城崎内外の多くの皆さんに応援してもらうことができました。

もちろん必要準備物は城崎から全て持ち込み。

発電機の手配を豊岡のレントォールに頼みました。

もちろん借りて自分たちで運搬する予定。

しかし、当時震災後は慢性的な発電機不足でした。なかなかレンタルもできません。

「わかった。必ず用意する。そしてこちらで運んでやる。金はいらん」

今でも親交のある片山社長は発電機含む物品を無償でレンタルどころか、往復運搬まで担ってくださいました。

 

我々も旅館の送迎車に物品を積込み、片道13時間の長旅。

10年前のことなので記憶も曖昧な部分はありますが、現地では1日に体感できる余震が20回くらい。そのうち数回は城崎で感じた阪神淡路大震災に近いものがあった気がします。

到着した日は避難所訪問と、縁日開催の打合せ。

夜にやっと一息、居酒屋さんで我々が余震にビビっていたのに他のお客さんも店員さんもお構いなし。

これはこれで、慣れの恐ろしさも垣間見ました。

 

真言宗のお坊さんたちの百箇日法要にも参加させていただきました。

法要、といっても大々的なイベントではありません。

ブルーシートを敷いて、海に向かってお経を唱えるお坊さんと我々で併せて15人ほどが海に向かって手を合わせます。

1時間ほどの間に見かけた人が1人、2人と徐々に近所の方々がいらして一緒に手を合わせます。

 

震災から100日。

まだ3か月。進まない復興。

海に向かっての読経に何の意味があるのか?

その間も災害ボランティア(泥かき、ごみ出し等)をした方が良いのでは?

 

そういう考え方もあるかもしれません。

私は、亡くなった方々に寄り添うその姿勢がとても美しいと思いました。

新聞に、テレビにメディアに取り上げられるわけではありません。

粛々と。ひっそりと。

「前を向く」

この言葉には含まれていないようでいて、含まれていることが「亡くなった方への想い」だと思います。あの震災、津波で多くの方が亡くなりました。それは本当に悲しいことです。

しかしその方を、忘れることこそが本当に恐るべきことです。

海に向かって読経。

それは亡くなった方に捧げると共に、我々の心に震災を改めて刻む作業でもありました。

 

 

そして、我々の目的の大本命、避難所に赴き縁日を開催。

子どもを中心に明るい笑顔を見せてもらいました。

オンセンジャーと記念撮影をして、それを下敷きにとラミネートしたり。

スーパーボールすくい。城崎温泉の得意なところ。

私も母に無理言って普段は持ち出さない射的を東北へ持ち込みました。

子ども達の元気な姿、笑顔はTVで見るのとは全然違いました。

現地で、直接触れ合うことの大切さを感じました。

 

体育館の避難所、高齢者の避難所にもお邪魔してわずかばかりの支援物資をお渡しもしました。(記憶が前後しているので時系列は無視してください)

 

2日目の夜は避難所にもなっている民宿へ泊りました。

民宿からコンビニに買い出しに行った車が道路の寸断で3時間帰って来ませんでした。

岩手県まで入っていたようです。ナビには映らない事実でした。

 

次の朝頂いた、あおさの味噌汁の美味しかったことは今でも忘れられません。

 

オンセンジャーの活動。

楽しいこと、難しいこと、辛いこと、嫌なこと。

 

色んな事があった13年。

 

この東北慰問は私のオンセンジャー生活にとって最高の思い出だし、自分の人生においても強烈な印象を持った出来事になりました。

それからまだ一度も南三陸の被災地を訪れることができていません。

 

あの景色は現在、どうなっているのだろうか?

あの子たちが元気に成長してくれていたらいいな。

 

日本は災害大国。明日は我が身。

 

久しぶりに東北慰問のことを思い出したので、書きました。

でもまだ復興は終わっていません。

これからも心を寄せることを、忘れずに。

 

追伸

この東北慰問で真言宗の五味さんというお坊さんに大変お世話になりました。

豪快で、大きな笑い声の方でした。

一緒にお風呂に入っている時。

「よう来てくれた!次会うのは祐章の結婚式だな」

「あの人、結婚できますかねぇ?」

<大爆笑>

「結婚出来たら、また会えるな」

 

 

それから、数年後。

小川さんの披露宴で、オンセンジャーが余興をしました。

余興が終わるとすぐ、五味さんにお声をかけました!

「約束通り、会えましたね!」

「実は数年、身体悪くしてたけど、頑張って来て良かったわ!あの時はありがとう」

本当に、ご縁です。

色々なことが。様々な人と。

絡まり合って。

それが、今日(こんにち)。


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