工事の仕事をしていると、各地域でルールが違うことがわかります。
今日はそんなお話。
家屋解体の「城崎ルール」についてです。
まずはじめに前提を書いておきます。
城崎温泉は木造家屋密集地ということ。
その理由の大きな部分は1925年5月23日に起こった「北但(ほくたん)大震災」で大半の家屋が倒壊・焼失したことに起因します。
震災からの復興で多くの建物が同時期に建設されました。
地震後に大火災に見舞われた経験から各家が土地を提供して道路幅を広げました。
(これは画期的なことです!)
元々狭かった家屋の土地を道路拡張に提供したことにより、居住スペースは上の階に伸びることになります。三階建木造建築群の誕生です。
連なった家には(両端の家を除いて)各戸毎の外壁がありません。
寄り添うように建っている建物が数多くあります。
本当に隣家と接しているんです。
自分の家の柱と隣家の柱が仲良く並び、お互いに外壁がない状態です。
隣家との隙間だけ鉄板で塞いであったり、モルタルで塗られていたり。まるで長屋のようです。
現代では考えにくい話ですよね。
ですから、家屋解体が発生した場合、両側の家の外壁がなく、柱が丸見えになってしまいます。
そこで「城崎ルール」の登場です。
城崎では「自分の家は自分で直す」というルールがあるのです。
他の地域では、解体した方が隣家の外壁まで工事される地域もあります。
折半する地域もあると聞いたことがあります。
しかし城崎ルールは自分の家は自分で直す。
隣家の都合により、いきなり外壁修繕が発生することもあり得るので大変です。
今回もそんな事案があったのでお客さんと相談して施工します。
安い方が良いのは当たり前だけれども居住性、メンテナンス性、見た目・・・
バランスをとった提案を心がけます!
~余談~
ちなみに私の実家は谷口屋遊技場。
秋祭り等で両隣の家にあがることがあったのですが、私の家を含めて3軒、ほとんど同じ造りです。間取りがソックリです。
震災復興時に谷口屋工務店で建てたのだと思います。
似たような、間口・奥行き。
エイヤッ!っと同じ仕様で祖父が建てたのかな?
時代ですね。
今ではそんなこと考えられません。
震災、大正の時代、震災からの復興。
色々なことが絡み合って今の城崎温泉のカタチを作ってきたということを感じます。