震災記念日(5/23)閑話休題です

94年前の五月二十三日。
北但大震災がおきました。大正14年のことです。

城崎地域ではほとんどの家屋が倒壊したと聞きます。
私の曽祖父の兄妹も亡くなったそうです。
5/23は震災記念日となっています。

↓↓北但大震災の記録(城崎編)↓↓

http://www.city.toyooka.lg.jp/_res/projects/default_project/_page_/001/000/671/kinosaki.pdf

 

 

我々地域の消防団も大規模な訓練を行います。

今回の訓練で私の所属する第一分団(ひたち班)のホースの筒先から水が出ることはありませんでした。

ポンプ車のトラブル。

実際の火災ではなく訓練で本当に良かったと思います!

どこが悪いかを点検してもらいました。

とうりあえず、の処置が見つかったとのこと。

しかし近い将来、修理してもらわないといけませんね。

 

そして温泉寺にある震災鎮魂碑にお参りします。

さて、城崎温泉はこの震災から見事な復興を成し遂げた町としても知られます。
震災前は細かった道幅。
震災後、沿道の人々が我が敷地を道路として提供し、道幅の拡張が行われました。
現代では考え難いことです。
そのおかげで?敷地が小さくなり、上へ伸びて木造3階建て群となったのかもしれません。

また、街区毎に公共性の高い建物はRC(鉄筋コンクリート)造とされ、火災発生時の延焼防止の火伏せ壁の意味もあったそうです。
学校、銀行、郵便局、民間でもみなとや商店さんなどなど。

約100年前にこのような町づくりがされていたことは本当に驚きの一言です。

城崎の木造三階建て群、今の町並みの原型はこの時に作られました。

それから今日まで守られてきた町並み。
しかしながら起きてしまった喜多町での火災。

我々は地域人としてこの町の防災を常に意識していかなければなりません。
もしここで火災が起きたら一番近い水利はどこか。
どこに消防車をつけて配管・放水するのか。
そのための訓練をする日でもあります。

地域人、消防団員であるのと同時に私は建設業従事者です。
火に強い建物。延焼させない建物。
これも永遠かつ身近なテーマとして意識しています。

高いお金だして家や事業所を工事して。
震災や火災で失ってしまっては悔やんでも悔やみきれません。

そして、一般の方々にも是非予防意識を持っていただきたい!
火災は出さないのが一番!
もちろん当たり前のことですが。

皆で協力してわが町、ふるさとを守っていきましょう!