なんだか落ち着かない秋の日々

あっという間に10月の中旬ですね。

いつもの年ならば秋祭り直前。
仕事も手につかなくなる季節。

あるはずのものが忽然と姿を失う、その虚無感。

 

今年は新型コロナ感染症拡大抑制の観点より、だんじり運行は中止に。
これは昭和天皇がご病気の昭和63年以来のこと。
32年ぶり(当時私は小学生でした)のこととなりました。

小さい頃は小だんじりに乗り。
小学生になると小だんじりを押す。
中学生の頃は小だんじりの中で太鼓を鳴らし。
高校生になると大檀尻へ。
執頭、後見を経て今は助役。

40年近く城崎温泉の秋祭りに携わっていることになります。
しかしながら、だんじり運行が中止とはいえ、神事はあります。
10月15日にはお神輿さんも拝殿の前に鎮座します。

神事=お祭り

つまり、秋祭りはあるのです。だんじり運行は中止でも。

「城崎の五穀豊穣を願って」

五穀豊穣というのは、農業への祈り、という意味だけではありません。

城崎は主要産業は観光だから、五穀豊穣なんて関係ないように思えなくはないのですが、やはり生きていくには衣食住。

そして観光客をもてなすためには五穀豊穣は必須でもあります。
結局のところ、農耕民族日本人にとって、五穀豊穣=日本国の安寧です。
我が氏神様においては城崎温泉の安寧ということになります。

秋祭りは伝統です。
これは紛れもない事実。
しかし、伝統もまた諸行無常です。
時代に合わせて変わる部分、変えられる部分はあるはず。
変えなくてはいけない部分もあるのだと思います。

そして「変えてはいけないものは何か?」が至上命題です。

物事の本質を掴む力が肝要です。

 

令和の新時代になり、新型ウィルスの流行という過去には想像だにしなかった事態。
だんじり運行がなくて残念なのは、私も多くの町民の皆さんと同じ気持ちです。
しかし、時世柄、氏子総代さんはじめ関係各所が柔軟に対応されたことに感謝です。

だんじり運行催行による感染拡大に繋がる可能性は、確かに低いかもしれません。
しかし、ゼロではありません。
万が一があった場合。
ハイシーズンをこれから迎える城崎温泉にとって致命傷になりかねないリスクです。

いかにだんじり運行がしたくとも、このリスクをを考えるだけで身の毛がよだちます。

私は今年のだんじり運行の中止は英断だと思っています。

決定することへの賛否、決定権者の心にかかる負担はいくばくか。

想像に堪えません。

せめて、行われる神事には連中で参拝させてもらおうと思います。

時代の変化、イレギュラー。
本当に、さまざまな意味で難しい世の中。
物事の本質を見抜く力を、自分の力にできるように努力していきたいと思います。

来年以降、無事にまた秋祭りが執り行われますように(-人-)