10年前の思い

FaceBookの機能に「思い出」があります。

この機能は〇〇年前の今日、こんな投稿していますよ、と教えてくれるもの。

 

10年前の6/19は東北に行っていたようです。

10年前といえば東日本大震災があった年。

 

直後から、ボランティアや寄付活動が全国的に展開されました。

私も商工会を通じてほんの微力ながら支援を始めました。

豊岡市も職員を派遣したりしました。

(連中のたっちゃんも市の職員として約1週間現地へ赴いていました)

 

 

それとは別のお話です。

私は城崎泉隊オンセンジャーというローカルヒーローの活動を町の有志でやっています。

そのメンバーの中に、たまたま真言宗のお坊さんがいます。

温泉寺の当時副住職だった小川祐章さんが我々に言いました。

「なんか、やろう!自分たちにできること」

同じ高野山真言宗のお寺さんが南三陸町でボランティア拠点をされているということでした。

物資を送るのが良いのか?寄付を集めるのが良いのか?ボランティアに訪れるのが良いのか?

 

震災から2か月が過ぎ、全国から色々送られてくるものの、必要不必要、配送の関係、難しい現状があるようでした。

そこで我々が考えたのが城崎ならでは、「縁日」を避難所に持っていこう!ということでした。

それに何の意味があるのか?

その日、その瞬間だけでも子ども達やその家族の笑顔見られたら、それでいいじゃないか!

難しいことは考えてもしょうがない。まずはやってみることです。

 

そして東北に行くことになりました。

決行にあたっては豊岡市や、城崎内外の多くの皆さんに応援してもらうことができました。

もちろん必要準備物は城崎から全て持ち込み。

発電機の手配を豊岡のレントォールに頼みました。

もちろん借りて自分たちで運搬する予定。

しかし、当時震災後は慢性的な発電機不足でした。なかなかレンタルもできません。

「わかった。必ず用意する。そしてこちらで運んでやる。金はいらん」

今でも親交のある片山社長は発電機含む物品を無償でレンタルどころか、往復運搬まで担ってくださいました。

 

我々も旅館の送迎車に物品を積込み、片道13時間の長旅。

10年前のことなので記憶も曖昧な部分はありますが、現地では1日に体感できる余震が20回くらい。そのうち数回は城崎で感じた阪神淡路大震災に近いものがあった気がします。

到着した日は避難所訪問と、縁日開催の打合せ。

夜にやっと一息、居酒屋さんで我々が余震にビビっていたのに他のお客さんも店員さんもお構いなし。

これはこれで、慣れの恐ろしさも垣間見ました。

 

真言宗のお坊さんたちの百箇日法要にも参加させていただきました。

法要、といっても大々的なイベントではありません。

ブルーシートを敷いて、海に向かってお経を唱えるお坊さんと我々で併せて15人ほどが海に向かって手を合わせます。

1時間ほどの間に見かけた人が1人、2人と徐々に近所の方々がいらして一緒に手を合わせます。

 

震災から100日。

まだ3か月。進まない復興。

海に向かっての読経に何の意味があるのか?

その間も災害ボランティア(泥かき、ごみ出し等)をした方が良いのでは?

 

そういう考え方もあるかもしれません。

私は、亡くなった方々に寄り添うその姿勢がとても美しいと思いました。

新聞に、テレビにメディアに取り上げられるわけではありません。

粛々と。ひっそりと。

「前を向く」

この言葉には含まれていないようでいて、含まれていることが「亡くなった方への想い」だと思います。あの震災、津波で多くの方が亡くなりました。それは本当に悲しいことです。

しかしその方を、忘れることこそが本当に恐るべきことです。

海に向かって読経。

それは亡くなった方に捧げると共に、我々の心に震災を改めて刻む作業でもありました。

 

 

そして、我々の目的の大本命、避難所に赴き縁日を開催。

子どもを中心に明るい笑顔を見せてもらいました。

オンセンジャーと記念撮影をして、それを下敷きにとラミネートしたり。

スーパーボールすくい。城崎温泉の得意なところ。

私も母に無理言って普段は持ち出さない射的を東北へ持ち込みました。

子ども達の元気な姿、笑顔はTVで見るのとは全然違いました。

現地で、直接触れ合うことの大切さを感じました。

 

体育館の避難所、高齢者の避難所にもお邪魔してわずかばかりの支援物資をお渡しもしました。(記憶が前後しているので時系列は無視してください)

 

2日目の夜は避難所にもなっている民宿へ泊りました。

民宿からコンビニに買い出しに行った車が道路の寸断で3時間帰って来ませんでした。

岩手県まで入っていたようです。ナビには映らない事実でした。

 

次の朝頂いた、あおさの味噌汁の美味しかったことは今でも忘れられません。

 

オンセンジャーの活動。

楽しいこと、難しいこと、辛いこと、嫌なこと。

 

色んな事があった13年。

 

この東北慰問は私のオンセンジャー生活にとって最高の思い出だし、自分の人生においても強烈な印象を持った出来事になりました。

それからまだ一度も南三陸の被災地を訪れることができていません。

 

あの景色は現在、どうなっているのだろうか?

あの子たちが元気に成長してくれていたらいいな。

 

日本は災害大国。明日は我が身。

 

久しぶりに東北慰問のことを思い出したので、書きました。

でもまだ復興は終わっていません。

これからも心を寄せることを、忘れずに。

 

追伸

この東北慰問で真言宗の五味さんというお坊さんに大変お世話になりました。

豪快で、大きな笑い声の方でした。

一緒にお風呂に入っている時。

「よう来てくれた!次会うのは祐章の結婚式だな」

「あの人、結婚できますかねぇ?」

<大爆笑>

「結婚出来たら、また会えるな」

 

 

それから、数年後。

小川さんの披露宴で、オンセンジャーが余興をしました。

余興が終わるとすぐ、五味さんにお声をかけました!

「約束通り、会えましたね!」

「実は数年、身体悪くしてたけど、頑張って来て良かったわ!あの時はありがとう」

本当に、ご縁です。

色々なことが。様々な人と。

絡まり合って。

それが、今日(こんにち)。

年度末の恒例作業

年度末といえば、城崎こども園のタイル貼り!

もう5年目になりました。

園児が描いた自画像のタイルを園舎入り口の壁に園長先生と貼る作業です。

私はタイル用の接着剤を準備してお手伝いするだけ。

作業のメインは園長先生にお願いします。

今年のぞう組さんたちを1枚1枚、慎重に貼っていきます。

5回目にして初めて私の長女も登場。

感慨もひとしお、ですね。

今年は城崎こども園の保護者会長もしました。

とはいえ、コロナ禍でほとんど出番なし。

子ども達と園と保護者で楽しい思い出になる取組をしたかったのですが。

本当に残念です。

そしてとても楽な役回りだったので前任者や後任者にも申し訳ないような・・・

まあそういう巡りだったということでしょうがないですね。

 

卒園式は私にとっても(親としては)初めて、でした。

前前任者の会長が「涙なしでは見れないですよ」と会長挨拶で号泣したと聞いていて、「そんなまさか」と思っていました。

しかしいざ参列してみると。

たった数年で大きく成長した子ども達。

笑顔と涙をこらえる母親の姿。

そして声を震わせながらお話してくれる担任の先生方。

グっとくるものしかありませんでした。

正直、涙スイッチ押そうものならすぐにでも泣けます。

もちろんなんとか堪えたわけですが、本当に感動しました!

大勢の前で挨拶するのも久しぶりで、柄にもなくド緊張してしまいました。笑

園児とのコール&レスポンスに助けてもらいました。

(「おめでとうございます」というと園児全員が元気いっぱいに「ありがとうございます!」と返してくれました)

 

挨拶はそんなに苦手じゃないと思っていましたが、やはり慣れが必要ですね。

長女はもうすぐ小学生。

桜が散る前に木屋町でランドセル記念撮影をしてきました。

今年も城崎の桜は綺麗でした。

春の光を浴びた柳並木もとても綺麗。

本当にコロナなんてどっかいってしまえばいいのに。

そして春はやはり温泉行くには最高の季節ですね。

 

年度末の恒例行事、そして卒園、入学の季節のお話でした。

 

小学校の防火戸の修繕を行いました(後編)

さて、防火戸の修繕工事です。

まずは煙感知器の交換です。

煙感知器が作動しなければ防火扉は自動で閉まりません。

経年劣化で動作しない煙感知器を交換します。

取り外してみてびっくり。

右下は1989年製。(32年前)
左下は1980年製。(41年前)
です。
経年劣化も甚だしいですね。
古いほうは私と同じくらい時を過ごしています。
画像にもある通り、放射線のマークがあります。
適切に処分が求められるのでメーカーに確認して処分を行います。
この煙感知器は「光電式スポット型感知器」です。
感知器の内部に煙が入ると、発光部から出る光が煙の粒子にあたって乱反射するので、それを受光部で感知するものです。
この仕組みを大学の授業で習ったとき、「すごい感知の方法を考えるものだなぁ」と感心したのを今でも覚えています。
次に交換するのは蓄電池(バッテリー)です。
防火扉の閉鎖を始動するキャッチロックは普段は電源で動作します。
しかし停電時(火災時は停電の可能性も高い)はバッテリーにて動作します。
たいてい職員室の報知器機器内に設置されています。
あっさり交換することができます。
そしていよいよ防火扉の修理です。
ひとつひとつの防火扉がなぜ開かないのか?
主な理由は
・物理的要因
 防火扉が枠や床に当たっていて扉が閉まらない
・キャッチロックの不具合
 経年劣化してキャッチロックに不具合がある
というところです。
物理的要因は、扉を削ってあたらないようにします。
キャッチロックの不具合は、交換していきます。
キャッチロックも古いものは20年以上前の製品です。
いかにめったに使われないとしても、やはり20年経つと動かなくなるのかなと思います。
防火扉は閉まる順番があります。(順番がない場合もあります)
上部の棒で閉まるべき順番に扉が閉まるように調整しています。
そして閉まる速度が速すぎると重たい鉄扉で児童が挟まれてしまっては元も子もありません。
扉の閉まる速度を調整するのはオートヒンジ(扉に取り付ける速度調整器)とフロアヒンジ(床に取り付ける速度調整器)です。
取り外してみるとどちらも錆ています。
こちらも何十年と経っているのですから致し方ありません。
交換するとゆっくり正常に閉まるようになりました。
こうして修繕が終わると、今回修繕した防火扉をひとつひとつ動作確認。
煙感知器を専門の器具で炙って(煙を感知させて)自動でキャッチロックが開放し、防火扉が順調に閉まるかを確認して作業は終了です。
防火扉、日常に見かけることはありし、建築の知識として知っていました。
しかしこうして修繕するのは初めてで、勉強になることばかりでした。
使うことがないに越したことがない設備。
しかしいざ!の時に正常に動作しないかも・・・と考えるとゾっとします。
防火扉の不具合が児童の生命に直結しかねないのです。
確かに見えない部分のメンテナンス。お金もかかります。
公共だからこそ万全にできます。
しかし民間でも設備がある皆様は今一度、報告書を見て頂いて、改善指示がありました場合は速やかに修繕してもらえたらと思います!
年度末に5小学校を股にかけた工事のお話でした!
(余談)
今回改めてまじまじと防火戸を見る機会でした。
感想の一番は「クリアランスがなさすぎる」ということでした。
もちろん、煙が流れていかないように、炎が延焼しないように食い止める設備ですから隙間があっては困ります。
とはいえ5mmのクリアランスでは常に不具合と隣り合わせだと思いました。
鉄の扉、重いです。
いかに重量用のヒンジを使っていても戸先が自重で下がるのは明白です。
そんな箇所が何か所かありました。
そしてメンテナンス施工性の悪さ。
鉄の扉、重いです。大きいです。
外すのに4人がかり。
修理して取り付けるのも4人がかり。
防火扉がこんなに大きい必要があるのか?
デザインの問題です。
大きさが半分になっても十分開放的な扉です。
大きさが半分になれば重量も半分です。
もう少しクリアを作って取り付けて、後施工の桟で隙間を埋める仕様にすればいいのになぁ。
そう思うのは施工屋だからですね。
常にメンテナンス・修繕のことが頭をよぎります。
だから大胆なデザインが苦手、という短所でもあります。笑

小学校の防火戸の修繕を行いました(前編)

豊岡市の入札物件で小学校の防火扉の修繕を行いました。

ところで「防火扉」の存在をご存じでしょうか?

学校や公共施設にある、鉄製のでっかい扉、それです。

火災時に自動で閉まる扉。

何故そんなものが必要なのか?

火災時に一番危ないのは「煙」なのです。

(もちろん炎も危ないのですが)

煙りが建物内に充満すると、まず視界を奪われます。

視界を奪われると避難路を見失い、パニックになります。

そして煙による酸素欠乏に陥ることもあります。

この煙の蔓延を防ぐ設備が防火扉です。

もちろん、炎の延焼も防ぎます。

防火扉には「キャッチロック」というのが裏側にあります。

そして廊下や階段の天井に設置された煙感知器が煙を感知すると連動して防火扉が自動的に閉まります。

扉が閉まっても、通れます。

防火扉には小扉があり、通ることができるのです。

もちろん鍵はかかっておらず、自動で閉まる仕組みです。

防火扉とはこういうもの。

で、なぜ修繕することになったのでしょうか。

 

こういう大規模な公共施設は「特定建築物」の扱いになります。

(城崎でいえば旅館も特定建築物の扱いになりますし、規模によっては防火扉もあります)

特定建築物は「定期報告」の義務があります。

建物が適切に保たれているかどうかをチェックして報告します。

これは建築士などに委託されて専門業者で各器具等をチェックします。

弊社でも特定建築物の定期報告の代理業務を承っています。

定期報告で建物内の器具等に不具合があった場合は改善指示が出されます。

今回は市内の5つの小学校の防火扉が特定建築物の定期報告によって指摘された不具合を解消する工事となります。

田鶴野小学校

新田小学校

中筋小学校

港東小学校

城崎小学校

です。

入札で落札して、市役所建築住宅課と教育総務課と打合せ。

まずは5小学校で現地確認、校長先生と教頭先生へのご挨拶。

1日かかりました。

作業は放課後のみ(15:30以降)、土曜日作業は応相談、日曜祝日は原則不可。

作業時間の少なさが気になります。

そして協力業者と現地確認打合せ。

もちろん、5小学校。

1日かかりました。

必要な材料を手配して、作業日を決めて各小学校と相談の上決定します。

放課後のみとはいえ、5小学校で8日かかります。

 

経費がこんなに嵩むとは思いませんでした。笑

 

さて、次回はどんな修繕だったのかの詳細に迫ります。

お稲荷さんの鳥居を設置!(後編)

いよいよ、鳥居を建立する日がやってきました。

大安の良き日を選んだら、パラパラ雨模様でした。

これを逃すと彼岸に入ります。

なので止む無く、決行。

「神社(稲荷社)で六曜と彼岸(仏教)を気にして建てる」

私が大好きな「いかにも日本人」な感覚です。

神道も、仏教も、いや、何でもかんでも!

やはり「良いとされてる日」が一番気持ち良いのです。

 

さて、建立作業を始めます。

まずは位置を決めて穴を掘ります。

直径20cm程度の穴。

深さはなんと80cm。

専用の道具で丸く掘り進めます。

しかし掘ってみると地中にゴロゴロと埋まっている石が、掘る手を阻みます。

以前あったであろう鳥居の基礎も出てきました。

想像以上に時間を費やし。正直こんな大変な作業になるとは思いませんでした。

とはいえ大切な作業。

1本1本丁寧に穴を掘ります。

掘っては高さの確認、角度の調整、そしてまた掘ります。

掘っては柱を借入して大貫まで仮組。

レーザーレベルで高さを確認しては柱を抜いて微調整。

高さが決まったら穴底に砕石を入れて突き固めます。

そして柱を再度挿入して笠木まで組み上げます。

高さを確認したら柱の足元に再度砕石を入れて突き固めます。

そして少し緩めに練ったモルタルを高さ15cmほど入れて突き固めます。

柱と砕石とをモルタルが一体化してくれるのと、鳥居自体の重量を増すためです。

その後は堀った土で埋め戻し。

少し戻して踏み固め、少し戻して踏み固めの繰り返し。

これで建立作業は完了!

80cm根入れしているので倒れることもないはずです。

同じ作業を3度繰り返します。

穴掘りで腕がパンパンになりました。

でも現場で大工とあーでもないこーでもない、こうしよう!そうしよう!

と作業をするのが私自身大好きです。

休憩では町内のご厚意であやめさんのコーヒーを頂いてほっと一息。

ついに、無事3基の鳥居を建立することができました!

建ったのちに笠木に鋼板屋根を葺いてもらい、塗装の修繕。

そして完成です。

やはりお稲荷さんに鳥居はよく映えます(当たり前)。

町内の方々のご寄進ということもお稲荷さんに欠かせないのではないでしょうか。

なんとか無事に初午さんをお迎えできて良かったです!

改めまして、清玉稲荷会の皆さんありがとうございました!

そしておめでとうございます!

携わることができて本当に嬉しいと共に、光栄です!

 

(余談)

もちろん仕事に優劣などありません。

ですがこうやって地域からお仕事を頂けるのは本当に嬉しいことです。

また、滅多にない作業ということで私も大工も大変でしたが非常に良い経験になります。

これで鳥居製作及び設置作業は谷口屋工務店の得意工事になりましたので他町内・他稲荷社及び神社さんの鳥居をいつでも作れますので是非ご用命ください!笑

 

今まではブログに仕事のことを主に書いてきました。

もちろんそのためのツール。

しかし私は城崎の地域の役目もしています。

イベント情報、というわけではないかもしれませんが、城崎温泉の奮闘も少しずつ書いていこうと思います。

もちろんネタ不足解消のためでもあります。笑

書く習慣から身を遠ざけると、途端に億劫になってしまいます。

この鳥居の工事のお話を頂いた時から「よ~し!ブログに書くぞ!」と決めていました。

久しぶりに書いていると、書くこと自体が楽しい!

これからも書く練習と共に投稿したいと思います。

田舎の工務店の親父のしがない文章ですが、お付き合いくださいm(__)m

 

 

お稲荷さんの鳥居を設置!(中編)

さて、鳥居の材料加工は続きます。

次はいよいよ、柱を丸くしていきます。

四角から丸をどう削り出していくのか?

答えは「多角形にする」です。

四角の四隅を落として八角形。

八角形の隅を落として十六角形。

↑64角形になりました。

更に・・・どんどん多角形化して、最後はペーパーで仕上げて丸柱になります。

過程を揃えることで他の柱と同寸にします。

こうして笠木、柱、大貫、束。

部材の加工ができていきます。

そして組み立てるための接合部。

斜めの角度をつけてホゾ(接合部の突起)を加工します。

角度があることで難しさが上がります。

全ての部材の加工ができたら工場内で仮組して確認。

着色前の白木(しらき)でも雰囲気があって恰好良い!

節等は着色によってわからなくなります。

木材加工が済んだら、次は塗装です。

いつもは竹野の塗装屋さんに仕事を頼むことが多いのですが、今回は町内の協力業者「スズキカンバン」さんにお願いしました。鳥居の塗装と共に文字も書いてもらいます。

我々の業界の常識、「餅は餅屋」。

専門の内容は専門業者さんにお願いします。

丸柱に本当に上手に文字を描かれます。

木材の塗装も簡単ではありません。

一度や二度塗ったのでは木の地肌が透けて見えます。

鳥居は地肌が見えなくなるまで、七度塗ってもらいました。

一旦工場に帰ってきた木材は見事につやつやです。

現地で組み立てた後、再度キズ等をタッチアップ(塗装修繕)してもらいます。

 

綺麗な色。

赤色ではなく、朱色。

お稲荷さん色ですよね。

昔ながらのポストの色でもあります。

着々とお稲荷さんの鳥居に近づいてきました!

 

(余談)

明日、3月23日(火)19:00より清玉稲荷の初午のお祭りを行います。

四所神社さんのご祈祷とお札のお渡し程度のようですが、町内の中心にあってせっかく五本鳥居になりましたので参拝して頂けましたら幸いです!

もちろん、例祭以外でも、いつでもお参りください!

お稲荷さんの鳥居を設置!(前編)

昨年になりますが、私の生家の町内(清玉稲荷会)からご依頼がありました。

「お稲荷さんの鳥居を建て替えたいんだけど見積りしてくれる?」

さて、困りました。

これまで住宅や旅館をはじめとして様々な工事をしてきましたが、鳥居は建てたことがありません。

それもそのはず、清玉(きよたま)稲荷社の鳥居は現存3本で、最新で43年前に建てられたようです。

私の生まれるより前のこと。

会長である父に「鳥居建てたの覚えてる?」と聞くと「覚えとれへん」の返事。

すると会長がごそごそと事務所内を探してくれました。

祖父が描いた鳥居の設計図です。

これは非常にありがたい。

木材の把握ができます。

これにて見積りを作成。

施工費は、まあこんなもんではないかと想像で。

 

そして年末あたりでしょうか。

町内さんが、「寄付も集まりそうだし、現存の一番朽ちたのを1本撤去して3本建てて~な」ということで受注させて頂きました。

 

早速、木材を発注。

古くからのお付き合いのある船津屋木材さんから工場に材料が届きます。

ん?

丸柱がないぞ?

船津屋木材へ電話で聞いてみます。

「丸柱頼んだつもりなんですけど・・・」

「へ?ちゃいます。丸くするんです、大工さんが」

 

なんということでしょう!

鳥居の丸柱は四角の木材を職人が加工して丸くするそうです!

知らなかった・・・!

やはり建築は奥も深いが幅も広い。

したことない仕事(作業)が多いのも事実です。

まだまだ知らないことが多いですね。

知識をもっともっと集積していかなければ!

大反省です。

そして弊社を退社後も時々手伝ってくれている、一番古株の大工に聞きます。

「鳥居建てたの覚えてる?

「覚えとるで。加工も穴掘るのも建てるのも大変だったわ・・・」

「確か、型のベニヤが工場にあるで、探してみ!」

やはり経験者は強し!

今回建てるのはこの古株大工の弟子なので「困ったことがったら助けちゃってね!」

とお願いして電話を切りました。

 

そしていよいよ木材を工場で刻(きざ)みます。

工場を捜索すると出てきました!

清玉稲荷の笠木の型です。

大工がこの通りに墨付けをして木材を電気カンナと手作業で削りだしていきます。

木材が少しずつ、鳥居の笠木になっていきます。

色々な作業がありますが、やはり大工が木材を加工している姿は恰好良いなと改めて見惚れてしまいました。

 

地域の方々から、お稲荷さんのお仕事をご依頼頂いて。

事務所に祖父の図面、工場に先輩大工の型。

そして私の指示で、現の大工が加工。

なんだか、地域と共に時代を過ごしていることを感じることができて本当に幸せな気分になりました!

清玉稲荷会の皆さん、本当にありがとうございます!

 

(余談)

このブログ、何書こう?

生来の怠け者が出て長らく放置してしまいました。

言い訳をするならば、コロナ禍。

何かを書こうと考えるとすぐに後ろ向きな文字が浮かびます。

そんな投稿では面白くない!

そう思って、筆は重さを増していました。

今回お稲荷さんの鳥居の工事は(私個人としては)初体験で、しかも過程が見てて楽しく、とにかくお目出度いことなので書くに至りました。

これも地域の神様の思し召し。

そう思うことにして更新を続けたいと思います!

なんだか落ち着かない秋の日々

あっという間に10月の中旬ですね。

いつもの年ならば秋祭り直前。
仕事も手につかなくなる季節。

あるはずのものが忽然と姿を失う、その虚無感。

 

今年は新型コロナ感染症拡大抑制の観点より、だんじり運行は中止に。
これは昭和天皇がご病気の昭和63年以来のこと。
32年ぶり(当時私は小学生でした)のこととなりました。

小さい頃は小だんじりに乗り。
小学生になると小だんじりを押す。
中学生の頃は小だんじりの中で太鼓を鳴らし。
高校生になると大檀尻へ。
執頭、後見を経て今は助役。

40年近く城崎温泉の秋祭りに携わっていることになります。
しかしながら、だんじり運行が中止とはいえ、神事はあります。
10月15日にはお神輿さんも拝殿の前に鎮座します。

神事=お祭り

つまり、秋祭りはあるのです。だんじり運行は中止でも。

「城崎の五穀豊穣を願って」

五穀豊穣というのは、農業への祈り、という意味だけではありません。

城崎は主要産業は観光だから、五穀豊穣なんて関係ないように思えなくはないのですが、やはり生きていくには衣食住。

そして観光客をもてなすためには五穀豊穣は必須でもあります。
結局のところ、農耕民族日本人にとって、五穀豊穣=日本国の安寧です。
我が氏神様においては城崎温泉の安寧ということになります。

秋祭りは伝統です。
これは紛れもない事実。
しかし、伝統もまた諸行無常です。
時代に合わせて変わる部分、変えられる部分はあるはず。
変えなくてはいけない部分もあるのだと思います。

そして「変えてはいけないものは何か?」が至上命題です。

物事の本質を掴む力が肝要です。

 

令和の新時代になり、新型ウィルスの流行という過去には想像だにしなかった事態。
だんじり運行がなくて残念なのは、私も多くの町民の皆さんと同じ気持ちです。
しかし、時世柄、氏子総代さんはじめ関係各所が柔軟に対応されたことに感謝です。

だんじり運行催行による感染拡大に繋がる可能性は、確かに低いかもしれません。
しかし、ゼロではありません。
万が一があった場合。
ハイシーズンをこれから迎える城崎温泉にとって致命傷になりかねないリスクです。

いかにだんじり運行がしたくとも、このリスクをを考えるだけで身の毛がよだちます。

私は今年のだんじり運行の中止は英断だと思っています。

決定することへの賛否、決定権者の心にかかる負担はいくばくか。

想像に堪えません。

せめて、行われる神事には連中で参拝させてもらおうと思います。

時代の変化、イレギュラー。
本当に、さまざまな意味で難しい世の中。
物事の本質を見抜く力を、自分の力にできるように努力していきたいと思います。

来年以降、無事にまた秋祭りが執り行われますように(-人-)

実家の遊技場をプチリニューアル!

母から依頼をいただきまして、遊技場の本当にプチリニューアル工事をしました!

 

遊技場は道に面した間口いっぱいに6枚のガラス引き戸の面持ちです。

私の記憶の一番古いところで、今と変わらないお店の様子。

最低でも40年はリニューアルしていません。

3本のレールに6枚のガラス戸。

よく使う扉が重くなっています。

40年間頑張ってくれたのだから当然です。

そして扉同士はサッシのクレセントで連結されています。

出入口じゃない扉もガっと引けばクレセントから抜けて開きます。

お客さんは何が起きたかわからないし、直せない。

営業中に毎回クレセントを一旦外しにいくのはなかなか面倒な作業でした。

そして今だから言えるのは、飲みに行って鍵忘れて締め出されてもガチャガチャすると開けることができました。笑

 

今回母と相談。

建具のコマだけを交換するか、建具自体を交換するか。

コマだけ交換しても動きは良くなるけど40年以上ていることには変わりありません。

ということで思い切って・・・

清水の舞台から飛び降りるつもりで・・・

建具6枚すべてを!新調することになりました!

 

何せ、枠はそのままですし、見た目もほとんど変わりません。

なのに小さくない金額が動きます。

 

せめてものリニューアルに華を添えるのは出入り口にはハンドルを設置しました。

今まで見た目全く同じ6枚だったのでお客さんにわかりにくかった出入口。

しかもハンドルがあると力も必要なくなります。

加えて、出入口の扉だけ上下ガラスではなくアクリル板をはめ込みました!

アクリル板はガラスの約半分の重さなので軽くなります。

一番頻度の高い扉が軽くなるのは建具にもレールにも、そして利用者にも優しいのです。

近年は家庭の窓の大型化に加え、メーカー仕様の頑丈化と複層ガラスの採用により、建具の重量が大きくなる傾向があります。

後付けでハンドルの施工もぜひご一考いただきたいですね。

※建具の仕様・年式によっては後施工ハンドルが取付できないこともあります。

 

そんなこんなで40年以上ぶりにプチリニューアル。

レトロ感を壊さず、部分的に新しくすることができました!

 

さて、今までは母にまかせっきりで遊技場のことは放ってきました。

しかし今年、このコロナ禍。

給付金の申請や補助金・・・雑務も増えるしと母と初めて遊技場の話をして。

申請関係のお手伝いをして。

お客さんの制限をかけなコロナ対策できんという話から、40年ぶりの値上げを7月から。

おかげさまで今のところクレーム、というか不評はお客様からはないようで。

一安心。

しかし本当に儲かっていなかったので。笑

今後に繋がればいいなと思います。

 

値上げを足並み揃えて一緒にしてくれたセンター遊技場さん、旭遊技場さん。

(遊技場組合は解散しているので合わせる義理はないのです)

そして周知に協力してくださった高宮観光協会長はじめ事務局の皆さん。

大変ありがとうございました。

城崎の風物詩としてなるべく残していけるように母と考えていこうと思います!

夏の終わり

城崎温泉夏物語が終わりました。

私は城崎温泉観光協会でもいろいろと活動をしています。
観光協会理事であり、地域振興部員であり青年部会員。

その中で今年は夏季対策委員会の担当になりました。
夏季対策委員会では文字通り、夏の城崎を盛り上げる委員会です。
例年は「城崎温泉夏物語」と銘打って、夢花火や夢広場を行っています。

夏休みの期間中、毎日縁日を四所神社で開催して夏の雰囲気を演出し、平日毎日花火を打ち上げます。

今年もそれを踏襲して・・・
2月までは完全にそう思っていました。
3月に入ると雲行きが怪しくなります。
「ん?新型コロナ、大事になるの?」
4月に入ると観光事業は全て中止か延期に。
5月は城崎温泉が完全に機能を停止しました。
6月から旅館をはじめとして感染症対策を講じながらの営業の再開。
お客さんも少ないし、営業再開した店舗も多くはありませんでした。

話を戻して、夏季対策委員会。
年度当初は例年+αで何か楽しいことをしよう!という協議。
春になると夏物語、開催か否か?の協議。
そして夏直前になって「開催するためには何が必要か?どうすれば社会的に許容されて開催できるのか?」の協議。

協議内容が刻一刻と変化します。

本当に1日、1週間、1ヶ月でごろっと世間の雰囲気が変わっていました。

 

様々な協議を経て、結局夢広場の開催は断念せざるを得ませんでした。

しかし、なんとか夢花火の打上げ、最終日に灯篭流しを開催することになりました。
花火の警備は人員を例年の3倍に増やしてマスク着用と適切な距離をとってもらうようにお願いすることにしました。

注意喚起を大声で発しては元も子もないのでプラカードを作成することにしました。

本当にこの対策でいいのか?
少しでもお客さんに喜んでもらいたい!
でも、もし違う目で見られて城崎のイメージを下げるわけにはいきません。

正解は何か。模索する日々でした。

そして迎えた11日間の夢花火。
いつもの打上数250発を10→5分に短縮して打上げました。
灯篭流しはいつもの年とは違い、スタッフが流す形式に。

 

これで良かったのか?

お客さんに、少しでも喜んでもらえたのか?

 

ついに昨日、夏季事業がひとまず終了し、ほっと一息。
でも全てにおいて、正解だったかどうかはわかりません。

もっとできたことがあったかもしれないし。
違うやり方、違うことができたかも。

この稀有なひと夏の経験を来年といわず、これから秋以降に繋げられたらと思います。

春に行うはずだった城崎温泉1300年祭も来年4月に行うように事業を再構築しています。

コウノトリチャレンジサイクリングも9/1~11/30で開催します。

https://www.geo-ride.com/

コロナのせいかおかげか、一生の記憶に残る年になりました。
夏の終わり。
それは秋の始まりであり、まだまだ色々続きます。

頑張ります!踏んばりましょう!

新型コロナウィルスなんかには負けてられません!

※この投稿の素敵な画像は全て城崎の久保田一三先輩のFaceBook投稿よりお借りしています

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

以下おまけ(個人の感想です。認識不足や間違いがあったらすみません)

マスメディアという最悪のウィルス

「本日の感染者数は1200人を越えました!過去最高です!」
「あなたはお盆に帰省されますか?(まさかしないよね?という態度)」
「新型コロナ後遺症が判明しました(ほんまに後遺症かどうかなんてどうでもいい)」

「感染者数」という目安と言えるかどうかすら、わからない数字。
例えば、インフルエンザは「感染者」の数を問題にすることはありません。
発症して、自覚して自ら病院に行き、お医者さんに診断された人だけがインフルエンザの患者です。

「昨日、新型コロナの感染者が1200人を越えました。」

この言葉の意味をメディアはわかって伝えているのか?

私には「わざと言葉の意味を隠して」国民に脅しかけているようにしか感じません。

「感染者数が1200人でした」の言葉の意味は、「昨日、感染者が1200人増えた」わけではありません!
「何万人もPCR検査したらその中から1200人の感染がわかった(無症状の方も多い)」
というだけ。

昨日感染したのは実は1万人かもしれません。
3万人かもしれません。10万人、もっとかもしれません。
それはわからないこと。

無症状では自覚することは不可能です。

たまたま発症した方の濃厚接触者は、無症状でも検査して感染を確認できるだけ。

たまたまです。マグレ、と言っても良い。
つまり「感染者数」は限りなく意味のない数字だと私は思っています。

 

やはり実数はあくまで患者数(発症し診断を受けた数)、重篤者数、死者数ではないかと思います。
とはいうものの、重篤化しやすい年齢層まで徐々に拡大してることは心配です。
自分の家族にも、そして身の回りにもその年齢層の方はいるわけですから。

しかし絶対に、経済をダメにするわけにはいけません。
重症化しやすい高齢者や疾病をお持ちの方には、やはり用心していただく。
それ以外の方は新しい生活様式を踏まえながらも、これまでの日常に限りなく近い形に戻していく必要があります。

 

観光客が来てくれなければ「城崎温泉」であることができなくなります。
私はこのコロナ禍においても、せっかく来てくださる観光客の皆さんに嫌な思いなんてして欲しくない。
「来て悪かったかな?」
そんな旅行、楽しいと思いますか?
国は非常事態宣言を解除し、Gotoトラベルキャンペーンを現時点で行っています。
そして我々城崎温泉はそれを受け入れているのです。

そのことの意味を消化するのは自分達しかありません。

嫌ならば自分で自分のお店を閉めるしかありません。

そんな中、夢花火と灯篭流しを行えたことは私の中では本当に大きなことでした。
確かにお客さんの数は例年よりも遥かに少なかった。
確かに費用対効果ではもったいないのかもしれません。

しかし、直にお客さんから
「まさか今年花火見れると思えへんかったし、良かった!」
「警備の人多くて大変ですね~」
「コロナ禍の中でも良い思い出になったよ」
お声をお聞かせくださり、本当に心が温まりました。

 

新型コロナウィルスの正体も2月ごろとは違いわかってきています。
日本人が相対的に世界の人よりもこのウィルスに強いことも。

インフルエンザにはワクチンも特効薬(タミフル・リレンザ他)も複数ありますが、年によっては国内で3000人の死者を出すこともあります。


新型コロナウィルスはワクチンはまだないし、特効薬もありません。
それでもここまで国内で1000人程度しか亡くなっていないのが厳然たる事実です。

インフルエンザでここまでコロナみたいに対策することはありませんでした。

 

恐れること自体は悪いことではないと思います。
しかし、しかし。

あまりにも過剰だと思う。
特にテレビが酷い。

マスメディアが酷い。

インターネット番組のみ、一部科学者がそれほど恐れずとも良いという声を聞くことができます。

適切な対処をすれば大丈夫です。

屋外で全員が35度を越える猛暑の中マスクをしているのは異常です。

咳やくしゃみをしない状態なら喋らなければ屋外でマスクはいりません。

唾液による飛沫感染を防ぐには屋外なら1.5mも離れればマスクはいりません。

空気感染(エアロゾル感染は意味合いが統一されていない)するという確証は今のところありません。

屋外でマスクをしていれば近くにいても問題ありません。

手に新型コロナウィルスが付着しても30分ほどで不活性になるそうです。

付着した手で目、鼻、口を触らなければ感染暴露はほぼしないそうです。

 

地上波は脅せば脅すだけ、責任は転嫁でき、視聴率は上がります。
無責任な脅しを、毎日毎日各局が競うように流し続けている。
もはやこれは超悪性のウィルスです。

まずロックダウンすべきはこのTV番組だったのでは?

正体がわかれば変えて良い対応は必ずあるはずなのに。

しかし秋が終われば冬になります。

ウィルスは総じて活発になりやすい季節。

インフルか?新型コロナか?ただの風邪(旧型コロナウィルス感染症)か?

確かに判断も難しくなると思います。

でもTVだけを信じて惑わされないようにしないと。

脅しとこれ見よがしな大げさな対策の番組だけが真実ではありません。

正直個人的にはマスクも全く信用していません。

しかしさすがにこれは社会的マナーかなと。

各店舗に入る時のアルコールもしたくないけど、します。

 

TVがもう少し幅広い意見を放送にのせて、意味ある対策と、当初とは違って意味が薄い対策の選別をするべきです。

最新の情報と予防策を講じていきましょう。

しかし、国民みんなが理解するまでは、マスクもソーシャルディスタンスもマナーです。

建て方は、雨

さて住宅の新築工事を行っています。

基礎工事をして、木造建築の花形作業「建て方」です。

軸組み工法の骨組みである土台、柱、梁、束、母屋、垂木を取付・設置していく作業です。

ラフタークレーン(通称レッカー)を設置して1本ずつ組み立て。

改めて、家は大きなプラモデル(もちろんプラじゃないけど)ですね。

まさに1/1スケール!

 

谷口屋工務店の建て方は、ほぼ雨。

晴れた記憶がありません。

雪の中もありました。

 

しかしながら少しの雨は逆に足元が滑りにくかったりもします。

この時期は湿度が上がって苦しいくらいでしたが・・・。

 

 

 

7月末に上棟したのですが、建築吉日のこの日は色々なところで建て方ラッシュだったそうです。

何故か盆月8月を避ける傾向にある、上棟。

日本人ならではの感覚。田舎はなおさら、でしょうか。

加えて4~6月はコロナの影響で滞っていた現場も多いと聞きます。

ですので7月末に固まったのでしょうね。

弊社も1ヶ月以上前に決めていたのですが配送のトラックがないということで私が2t車で運搬も担当。

何にしても事故なく、無事上棟することができました!

今回は農業倉庫跡に建てる家。

ガレージを意識した片流れ屋根の家になります。

完成が今から待ち遠しいです!

いつかの馬鹿ップル

さて、豊岡に初めて出来た高級食パン専門店。それが、

「いつかの馬鹿ップル」

です。

明日、7/23(木)にめでたくグランドオープンされることになりました。

本日7/22(水)は13:00よりプレオープンということで数量限定で販売があるそうですのでご興味ある方は是非のぞいてみてくださいね!

 

 

大丸の専務が城崎の同級生というご縁で、お声をかけていただき工事をさせていただくことになりました。

このコロナ禍において、やはり助けてくれるのは友人。

そして、「ご縁」だと改めて感じます。

本当におかげさまです!ありがとうございます!!

 

 

ところが、最初にお話を伺った時は奇抜な店名、目立ちに目立つデザイン。

本当に驚きました。

 

仕掛け人はジャパンベーカリーマーケティングの岸本代表。

(もちろん発注は豊岡大丸さん)

全国各地に週に1店舗という、驚愕のペースで新店舗を展開されています。

1日で3店舗オープンすることもあるそうです。

豊岡のいつかの馬鹿ップルは178件目のプロデュースだと仰ってました。

 

ジャパンベーカリーマーケティングさんのHPを拝見。

「パン屋で街を元気にします」

とてつもない理念の会社です。

つい岸本社長の著書も購入して拝読。

「考えた人すごいわ」を考えたすごい人(著:岸本拓也)

 

「儲けるのは当たり前。でもそのために、その町のバックボーンとオーナーの感性の掛け算が大切。」

「美味しいのは当たり前。奇抜な店名とデザインに対して、美味しさとのギャップがストーリーを生む」

よくあるコンサル論とは切り口の違う考え方で、とても面白い本でした。

現在は「パン屋で街を元気にする」の理念の下、山陰地方に力を入れられているそうです。

 

今回の大丸さんは違うのですが、「勝手に仕掛けて、ちゃんと成功して安心してもらってから地元企業に売却譲渡する」というプロジェクトをされています。

現に鳥取市に2019年11月に開店した「もう言葉がでません」というお店は、オープンより連日の完売を続けて、既に地元企業さんへ譲渡が完了しているそうです。

【鳥取市】食パン無料配布に絶句!「もう言葉がでません」がバレンタインデーにスピード譲渡!

今回、鳥取で運営を譲渡された「株式会社葡萄屋」さんにお会いすることができたので少しばかりお話をさせて頂きました。

「山陰という共通点を持って一緒にできることがあるといいですね!」というお話になりました。

意外に近い(本当に近年近くなりました!)鳥取と豊岡。

同じ山陰に生きるものとして、鳥取と豊岡が相互に協力して何かできたらこんな素晴らしいことはないですね!

またひとつ、新しい夢ができました。

このようにしてジャパンベーカリーマーケティングさんは、まさに地域をパン屋さんで活性化されています。

人口密集地に出店するほうが収益化しやすいのは当たり前の話。

そうではなく、田舎もひっくるめて「パン屋で街を元気にします」

地域の話、マーケティングの話、哲学(ポリシー)の話。

本当に面白い著書でしたのでご興味ある方は是非読んでみてください。

先日、岸本代表にお会いして直接お話をさせていただくことができました。

カリスマ社長さんなので、正直おっかなびっくりしていたのですが(失礼ですみません)本当に気さくなお方で、違う意味でもう一度びっくりしました。笑

優しい口調の中にも、自信に満ちていて「常識を知っているからこそ非常識なことができます」と仰っていました。

本当にその通りだと思います。

とてもとても有意義な時間でした。

 

 

田舎で暮らしているとつい忘れがちな鋭い感覚、違う角度からの視点。

やはりいわゆる「いつもの工事」ではない工事を行うのは、とても刺激になります。

しかしながら、結局のところ助けてくれる知識・仲間(協力業者)は「いつもの工事」で培ったものしかありません。

それが弊社の唯一にして最強の武器です。

いつもと違う内容の工事をする機会がある毎に、その武器が研ぎ澄まされる感覚を得ることができます。

そして毎回、期待に応えてくれる協力業者には感謝しかありません。

今後も今回の工事で得られたこと、イメージを生かして様々な工事を行っていきたいと思います。

 

 

しかし、まさか自分が高級食パン店の施工をする日が来るとは思いませんでした。

とても刺激を受け、良い経験になりました!

ですが、工事が終わったらはいサヨナラ、ではありません。

永く、豊岡に愛されるお店になって欲しいと思います。

地域に根ざすお手伝いをこれからもさせて頂きたいと思います。

まずはそのお店の一番のファンになるところから。

工事終盤、看板を設置すると大開通りを行く人のほぼ全ての注目を集めていました。

嬉しそうに写真を撮る高校生。

見ていて心が躍りました。

早速食パン「北極星(商品名)」を食べてみました!

ふわっふわで食べたことない感覚!

生で食べて、とても美味しい!

私の妻も娘達も大喜びでパクパク食べていました!

是非皆さんも一度ご賞味ください!

 

※自分が撮った写真より遥かに秀逸でしたので久保田一三大先輩の写真を無断使用しています笑

 

追伸

城崎の先輩方が内覧会にお越しくださり、YOUTUBEにその模様がUPされました。

是非ご覧になってくださいd(^^*)

 

店舗の工事

さて最近は豊岡で店舗の工事も行っています。

 

豊岡の玄関口。

ホテル大丸さんの1階に出来る新店舗です。

 

店舗工事はいつもながら、本当に時間との闘いです。

6/19日に着工して7/16に引渡し。

工期は1ヶ月ありません。

工程管理が肝要となります。

 

今回の店舗工事では

・解体工事

・電気工事(今回は別途工事)

・上下水道設備配管工事

・左官工事

・軽天工事

・大工工事

・内装工事(長尺シート、クロス)

・塗装工事

・仮設(外部足場)工事

・看板工事

・コーキング工事

・鋼製建具工事

・木製建具工事

・消防設備工事(今回は別途)

・厨房機器設備工事(今回は別途)

・家具製作工事

・清掃クリーニング工事

と、17業種(3業種は今回別途工事)が1ヶ月にひしめく工事となります。

 

まずは打合せと工程表作成です。

お施主様と店舗開店スケジュールの打ち合わせ。

そして施工業社各社との調整をしていきます。

どういう順番でどの期間にどの工事業社が入れば効率・能率良く進めることができるのか。

手戻りが発生すると、ちょっとしたことで大きなロスになってしまうのです。

労力のロス。

金額のロス。

一番痛手は時間のロスです。

ロスを最小限にするための設定をするのが工程表です。

そして工程通りに工事が進んでいるかを確認するのが元請(総合請負)である私のお仕事です。

工程通りに進まない場合は常に現場、協力業者と相談打合せをして工程を更新していきます。

工程表作成時には実は「・・・が上手く行かなかったらあれと入れ替える、ここに余裕を持たせておいてロスを吸収しよう・・・」と考えています。

もちろんいつもの協力業者さんとの信頼関係、タッグを組んでいるからできること。

今回の工事では改修工事につきものの大きなトラブルに遭う事もなく、本当にスムーズに工事することができました。

今回は公私ともにいつもお世話になっている軽天屋さん「生駒屋」さんには本当に色々と相談から何から何まで助けていただきました。

ありがたい存在です。

 

 

知ったかぶりでは元請は務まりません。

とはいえ、全業種の全仕事内容・工法まで熟知するのは至難の業です。

「餅は餅屋」

異業種のイノベーションにはない、専門職の世界がここにはあります。

大筋、そして内容は理解しつつ、細かい部分は安心して任せられる、そんな協力業社に囲まれていることが本当に幸せです。

今回は難工事、というわけではありませんでしたが、期間も短いし、オープン日が着工前に決まっていたので本当に油断はできませんでした。

工事を無事終えてほっと一安心。

豊岡の玄関口にどどーんと目立つお店に仕上がっていますので是非一度行ってみてくださいね!

私も一番のお客さんに、そしてずーっとお客さんになろうと思います!

 

 

 

 

withコロナでのいろいろ

5月は旅館を中心に自ら営業を自粛した城崎温泉。
おかげさまで城崎温泉、豊岡市、但馬内では感染者は見つかっていません。

しかしながら経済を考えると休業のままではどうにもならない。

それは火を見るより明らかなことです。

6月に入ってからは各々の事業所が営業を再開しています。
観光協会が示したガイドラインに沿う形の営業。
withコロナ。

 

さて、弊社谷口屋工務店はありがたいことに休業することなく仕事をさせて頂いています。
特に5月は城崎温泉ロープウェイさんをはじめ、旅館さんの修繕工事をさせて頂きました。
お客さんがいらっしゃると、もちろん工事はできません。


工事内容によっては4~5日かかる場合もあります。
長期休館であったこの時期にしかできない工事がそこにはありました。

7月に入りました。
少しずつではありますが、日常が戻ってきているような気がします。
豊岡で店舗の改修工事であったり、町内で新築工事をさせていただいております。

 

本当に仕事ができる有難さしかありません。

 

そんな中、豊岡市では

・STATY豊岡

・EAT豊岡

・PLAY豊岡

・BUY豊岡

以上で「Re豊岡」という事業をしています。

詳しくは市のHP等で確認して欲しいのですが、どれも豊岡市民が、豊岡市内の事業所を助ける(お金を使う)後押しをしよう!という事業です。

 

特にSTAY豊岡は市内大交流を生む大きな一手だと思います。

今は何でもネットの口コミの時代です。

私も旅行に行くなら、ホテルや食事はネットで検索し、口コミを見ます。

しかしいつも半信半疑。全てを信用しているわけではありません。

 

でも例えばその土地に友人がいて、「あの旅館良かったで!あの居酒屋行ってみ!」と言われたらどうでしょう?

私なら間違いなく信用します。

つまり、やはりリアルな口コミが一番信用に足る情報なのです。

 

豊岡市の人が今まで城崎温泉に泊まったことがあるでしょうか?

城崎温泉のことを本当に知ってくれているのでしょうか?

私はほとんど竹野、出石、日高、(神鍋)、但東に泊まりに行ったことがありません。だから皆さんもそうじゃないかと思います。

この機会に豊岡の人が城崎温泉に来てくれて「あ~、城崎ってええとこだなぁ」そう思ってもらえたらこんなに嬉しいことはありません!

もちろん、城崎温泉はそう思ってもらうための努力をしなければなりません。

 

ピンチをチャンスに。

城崎温泉がReスタートするに際して豊岡の皆さんが仲間になってくれればこんなに心強い味方はいません!

豊岡市の施策に大感謝!

私もSTAY豊岡、EAT豊岡、大いに利用して豊岡の皆さんと交流したいと思います!

2t車のタイヤを交換しました。

谷口屋工務店の2t車。
ダンプカーです。


以前にも書いたかもしれませんが、トラックとダンプカーの違いは荷台をグィ~っと上げて積載物を自動で降ろせるかどうかに決まります。
砂や砕石を運び、降ろすならばダンプ。

木材を運ぶだけならトラックでもOK。

谷口屋工務店では小規模の基礎工事もしますし、解体材処分等もあるのでダンプカーが必要です。
また別に、揚重装置がついたトラックを積載型トラッククレーン(ユニックは商標です)と言います。(こちらは必要がほとんど無いので所有していません)

そんな、弊社の2トンダンプ。
実は仕事で使うのは年間30回くらい。
むしろ他のことに使うことが多いかもしれません。
但馬クリーン大作戦、廃品回収、観光協会の夏季対策事業・灯篭流し、コウノトリチャレンジライド、お祭りの準備片付け、イベントの準備片付け・・・。
町の人に「貸して~」と言われて町内を颯爽と走る、青い姿は私の密かな楽しみのひとつでもあります。
あまり使ってないから使ってもらうくらいがちょうどいい。笑

しかしながら数年前よりタイヤが気がかりでした。
随分磨り減ってきていました。
もちろん仕事で使いますし、城崎温泉は雪も降り積もります。
(奇跡的に雪は2年連続降りませんでしたが・・・)
そして町の人が使うことがあるので突然バースト(パンク)したりすると大問題。
タイヤを交換しないとな~とずっと思っていました。
ダンプは毎年車検なので、その時に併せてタイヤ交換の見積もりを依頼。
1本3万円で、ダンプはタイヤが6本。(後ろは両側2本づつ)
18万円に工賃と廃タイヤ処分費。
合わせたら20万円の大仕事です。

確かに必要な経費!
とはいえたかがタイヤ交換(しかもたった1台)に大金です。

他に軽トラが4台あるのでたかがタイヤ、されどタイヤ。

やはり計画的に交換スケジュールを組んでおかないといけません。

正直、なかなか踏み切ることができませんでした。

 

それでも何か問題が起きる前に交換しないとな~。

そう思っていました。

 

そんな中、昨日は城崎こども園さんの断捨離のお手伝いでダンプ出動!

昭和時代からの処分品を載せて走ります。

改めてタイヤを見て「そろそろ本当に交換せねば・・・」

そう思ったのでした。

 

ふと、とある友人の笑顔が頭に浮かびます。
私が所属する豊岡市商工会青年部の去年の部長さんです。
彼は豊岡市日高町でタイヤ屋さんをしています。
「ミスタータイヤマンヤマモト」さん。
http://www.hidaka-syoutenkai.com/content/store/30

 

「山ちゃん、うちのダンプのタイヤ、なんとかして~」

「実はそのサイズのタイヤでキャンセル品の在庫があるので安くしますよ!」

格安の提案を奇跡的に頂きまして、即決。
安いのももちろん嬉しいのですが、長年一緒に活動している商工会青年部員さんのお店にお願いできることが単純に嬉しい。

昨日の今日で早速タイヤ交換をしてもらいました。

6本のタイヤがあっという間に新品に交換されていきます。

軽トラのタイヤはノーマル・スタッドレスを自社の職人で交換しますが、タイヤのプロにまかせると当たり前ですが速くてしかも大安心。

これでやっとダンプ稼動の仕事も、町の活動も安心して行うことができます。
城崎の町を青い姿が走り回ってくれることを願います。

山本前部長、ミスタータイヤマンヤマモトの皆さん本当にお世話になりました!
次回は格安じゃないタイヤ交換を依頼しようと思います!

 

城崎温泉は6月から、コロナ禍の状況より一歩前進しました。

営業再開する旅館や商店。

浴衣の観光客を見かけるだけで嬉しくなります。

とはいえ、感染症拡大のリスクは抑えなければいけません。

城崎温泉守護のお寺、温泉寺さんより疫病除のお札も授かりました。

 

工務店、遊技場、自宅に貼らせていただきました。

「通常」を取り戻すのは容易ではありません。

ですが、城崎温泉開湯1300年の今年、皆が一丸となって進めば大丈夫!

そう信じて仕事を、そして生活の歩みを進めたいと思います!!

間仕切りを変更する工事

城崎観光株式会社のお仕事をさせていただきました。

城崎温泉の温泉寺にあるのが城崎温泉ロープウェイ。
中腹駅には温泉寺の本堂。
山頂駅には温泉寺の奥の院があり、城崎温泉から日本海までを一望できます。

城崎温泉のロープウェイの大きな特徴は「中間駅」があることです。

中間駅があるロープウェイは城崎以外で私は見たことがありません。

二基のロープウェイがちょうど中間駅で交差します。

とても面白い。

しかしながら、温泉寺本堂で中間駅の位置が決まっているので山ろく駅までは地上から95段の階段を登らないといけません。

解体材の搬出も、工事材料の搬入も階段を登り降り。

まるで修行です。

 

 

そんな城崎温泉にある、ロープウェイの切符売り場のお仕事です。
城崎観光の社長と谷口屋工務店の会長は家がお隣で同級生。
秋祭りでもずっと同じ連中さん。

ですから私自身も馴染みの深い社長さんです。
今回は、外国人観光客の増加とキャッシュレスな世の中に対応するために、受付の間仕切りの工事をさせていただくことになりました。

まずは人の流れのシミュレーション。
どうすればお客様をいかに待たせずに対応できるか。
豊岡の小林建築設計事務所にもお世話になりながら、シミュレーションを行いました。

 

そしていよいよ着工のための準備を始めます。

本来ならば工事はGW明けに行う予定でした。
しかし想像だにしていなかった新型コロナウィルス感染症の拡大。
4/13よりロープウェイさんが休業されるということになり、予定を前倒して急遽工事を行うことになりました。

既存の間仕切りを撤去して、新しい間仕切りを起こす工事。

言葉にするのは簡単ですが、その中に色々な考えを詰め込んでいきます。
カウンターの高さや機能、見た目。

配線、機材の場所、使い易さ。

常にロープウェイの社長さんと相談しながらの工事となりました。

4枚のガラス障子を上吊で両サイドに引き込むようにしました。

すっきりと仕上がったと思います!

 

 

 

新型コロナウィルス感染症の拡大防止のために私のふるさと城崎温泉はロックダウン状態になって早1ヶ月以上が過ぎました。

城崎温泉開湯1300年祭や夏物語にコウノトリチャレンジライド・・・
関わるイベントもその全てが不透明です。

兵庫県の非常事態宣言は解除されましたが、まだまだ先の見えない状況が続いています。
建設業も人事ではありません。
しかしこのような状況の中でもお仕事をさせて頂ける事は本当にありがたいことです!

 

そして6月からは城崎温泉も少しずつ営業を再開される事業所があります。

城崎温泉ロープウェイさんも再開事業所。

とはいえ、一気に以前の状態に戻ることはないでしょう。

少しずつ。日常を取り戻すことができれば良いですね。

私も通常業務を着々とこなしたいと思います。

そして携わる観光イベント関連の準備も粛々と進めます。

新型コロナウィルスなんかに負けてたまるもんか!

 

4月23・24日は温泉祭り!

4月23・24日は城崎温泉にとって本当に大切な日です。
例年は「温泉まつり」が開催されます。
これは4月24日、城崎温泉守護の寺、温泉寺の開山忌にちなんだお祭り(イベント)です。
4月23・24日の両日を合わせて「温泉まつり」なんですね。

その温泉まつりを盛り上げよう!
もちろん城崎温泉を盛り上げよう!
ということで13年前に発足したのが城崎泉隊オンセンジャーです。
当時全国的に流行っていたローカルヒーローという手法で城崎温泉の知識だったり魅力を発信する団体です。

毎年、必ず4月23日にショーを行ってきました。
今年ももちろん!
しかも今年は城崎温泉開湯1300年の節目だから!
あんなことやってみよう!こんなこともやってみよう!
オンセンジャーの台本に色々盛り込んでいました。

限りある予算で衣装の修繕も行いました。

観光協会の地域振興部でイベント全体の企画もしていました。
オンセンジャーのみならず、湯けむり太鼓さんやとことこダンサーズ、城崎国際アートセンターさんと一緒に!楽しいことして盛り上げようと!

しかしこの世界を震わせる新型コロナ禍ではしょうがありません。
延期となりました。
中止ではありません。延期です。

 

「この湯の湧き出るかぎり、城崎町は発展する」
北但大震災後の当時城崎町長だった西村佐兵衛翁の言葉です。

必ず1300年祭のイベントは開きます!
温泉寺のご本尊様も御開帳中です!
※現在緊急事態宣言の期間内は一般拝観(内観)は中止となっています

↓今年の温泉祭りスケジュール↓
【4月23日(木)】
10:30~町内浴場渡御のみ
【4月24日(金)】
10:00~開山忌湯祈祷 道智上人(駅前~各外湯)
12:00~開山道智上人墓前法要(温泉寺)
12:40~開山忌法要(温泉寺)
※両日ともに温泉寺本堂にて、秘仏本尊十一面観音立像御開扉。
※両日ともに地蔵湯は無料開放。
(一の湯、鴻の湯は通常営業。さとの湯、柳湯、御所の湯、まんだら湯は臨時休湯中)
 

神頼み、仏頼みということではないけれど。
四所神社や温泉寺、極楽寺、蓮成寺、本住寺。
気分転換でも良いから、出かけて拝む。
(人に出会ったら、社会的距離を適正に取ります)
手を合わせるだけで、過去に手を合わせてきた何百年間の何十、何百万人と自分が重なります。

地域と共にあることが実感できるのが一番嬉しいことです。

 

緊急事態宣言、休業要請、自粛の波。
いつまで続くのかと思うだけで気が重く、滅入ります。
しかし耐えた先に明るい未来があると信じるしかありません。

「この湯の湧き出るかぎり、城崎町は発展する」

やはり温泉は城崎の中心です。
温泉に感謝する日が温泉祭り。

皆で感謝して、チャンスに備えましょう。

※ちなみに谷口屋工務店は今のところ通常通り業務を行っています

見たことのない光景

全国7都府県に非常事態宣言が発出されて1週間あまりが経過しました。
兵庫県がその中に含まれているので感染者が発生していない但馬地方、豊岡市もその中にあります。
当然、観光客は皆無。

都市封鎖(ロックダウン)を指示されることもなく、人が歩かない街になってしまいました。
もちろん私の記憶にあるふるさとの姿ではありません。

もちろん新型コロナウィルスは恐ろしい。
まだわからないこともたくさんあります。
しかしこの経済的打撃といったら・・・

そして何よりも恐ろしいのは先行きが見えないということです。
この先1ヶ月なのか、2ヶ月なのか、3ヶ月なのか・・・。

建設業としては当初は中国産建材が入荷できない状況がありました。
今はこの自粛や景況感の中で仕事はほとんどありません。

休業期間中の旅館等施設のの修繕があるのみです。
それでも仕事があるだけましなのかもしれません。

まさかこんなことになるなんて。
目に見えない敵との戦争さながらです。

今は目の前にあることに精一杯取り組むしかありません。
収束後の準備をするしかありません。

ウィルスなんかに負けてられません。
心が折れそうになる日々ですが、頑張ります。

母校の修繕

この季節になると毎年のように城崎小学校の外部の床タイルを修繕しています。
城崎小学校が現在の校舎になったのは私が小学校4年生の時。
自分の机と椅子を持って引越ししたことを覚えています。
それから時が流れること、32年。
もはや、「新校舎」ではなくなってしまいました。
とはいえ、少ないながらも毎年城崎の子ども達を育んでくれた大切な校舎です。

外部の床タイルが少しずつ悪くなり、少しずつ修繕しています。
これは建物は杭によって支えられ沈下しないのに比べ、平場の土間コンクリートは杭がないので不動沈下しているから歪みが発生していると考えられます。
体育館の際には8cmほどの沈下の跡が見て取れます。
しかし32年も経てば、しょうがないことでもあります。

3月に入ってから修繕を依頼して頂いたので、大急ぎで手配。
なんとか卒業式の前日に修繕作業を行うことができました。

卒業式の朝、養生のカラーコーンの引き取りにうかがうと門から昇降口、体育館までを一生懸命掃き掃除される校務員さんや先生方の姿。ジーンと胸に響きました。

新型コロナウィルスで急遽休校となり、また、在校生のいない卒業式。
でも、だからこそ、大切な思い出にして欲しいし、塵ひとつない道を歩いてもらいたいと仰っていました。

年明けには夢にも思わなかった新型コロナウィルスの蔓延。
城崎の観光には大打撃です。

子ども達も暇をもてあますしストレスは募るばかり。
私も委員を務めるイベントも軒並み延期にせざるを得ません。

もちろん我々建設業も他人事ではありません。
入荷できなかったり、しにくい中国産建材。
この気持ちの落ち込みによる受注の減少。

先行き不安の中、大きな金額がかかる工事に着手する人は少なくなるのが人情というもの。

 

 

しかし全業種、大変なのだから。

みんな、頑張っているのだから。

そう思って耐えるしかありません。

この状況の中にあっても毎日、時間は進んでいます。

卒業する子ども達がいます。
入学する子ども達がいます。

子どもはみんな、成長を続けています。

うつむくだけでなく、やはり前を向かないといけませんね!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

おまけ↓

城崎こども園の年度末不用材処分をしました。

こ、怖い・・・笑

ずっとつづけていきたい作業

今日は私にとって恒例となった作業をしてきました。

私の娘が二人通う、城崎こども園。
前身の城崎保育園は私の母校であり、母の昔むか~しの勤務先でもあります。
そして運営の旗頭、園長先生は幼馴染でもあり、我が家の菩提寺のご住職。

私にとって、浅からぬご縁あふれるのが城崎こども園です。

そして今年4年目となる、園児が描く自画像タイル。
卒園式のタイミングでこども園の入口の壁に貼っていきます。

作業内容は昨年も、一昨年も書いたような気がするので割愛。

園長先生と近況を話しながら、園児が描いた絵のタイルにを一枚づつ貼る作業は本当に幸せな時間です。
来年は私の上の娘の絵タイルができるはず!
今から楽しみでしょうがありません。

30分ほどの作業で今年も綺麗に貼ることができました!
(落として割ったら怖いので園長の仕事です笑)

 

 

 

 

今日は日中に観光協会の青年部会の役員会にも出席しました。
副部長という立場で2年間観光協会を盛り上げることになりました。

今はどこに行っても、誰に会ってもコロナコロナの話ばかり。
それでも城崎温泉には観光客も来てくれていますし、各事業所も対応策や色々な取組をされています。

本当に全員が、踏ん張り時だと思います。

耐えてたえて。

城崎温泉は常に前を向いて歩みます。

観光協会も、商工会も、各団体もそれぞれが、楽しい街づくりをしています。
私もその中に身を置き精一杯頑張りたいと改めて心に刻みました。
コロナに負けずに共に頑張りましょう!

道具の進化2

建築の道具、工法は本当に日進月歩で進化しています。
先日はレーザーレベルのお話でした。

今回は「あなたの知らないバッテリー工具の世界」です。

建設現場には本当に様々な工具があります。
ノコギリやノミ、金槌。鉋、掛け矢、ハッカー。

そして電動工具です。
機械の力は偉大です。
やはり電動丸ノコは手で切るより速くて楽に作業することができます。
釘を1本づつ叩いて打つよりもインパクトドライバーでビスを止める方が速い。

(エアーコンプレッサでバスンバスン打つのも速いですが、今回はお話しません)

そんな電動工具ですが、もちろん電気が必要です。
以前は工具ごとにコンセントから電源を取る必要がありました。

タコ足配線で作業すると工事用の仮設電気のブレーカーが落ちることもしばしば。
バッテリーで無コードの電動工具というのはインパクトドライバーぐらいでした。

そんな中、日進月歩でバッテリー自体の性能の向上があります。
軽量化、そして大容量化が進みました。

今では丸ノコ

掃除機

ラジオ

みんなバッテリーで動く無コードです。
しかも!
同一メーカーならば同じバッテリーなので流用できるんです!

最近では防災セットまで出ています。

 

しかし工具ってのはカッコいいですね!(そう思いませんか?)

無骨な機能美。

 

 

 

 

ひと昔前までは外での作業で丸ノコを使いたかったら、発電機を軽トラに積んで現場に行きました。発電機のエンジンをかけ、爆音の中で作業するしかありませんでした。

最近ではそんなことがほとんどなくなっています。

 

とはいえ、古い工具にしか出せない味がある作業もあります。

電動にはないニュアンスが必要な作業や現場も実際にはあります。

そういう作業、仕事は大切していかなくてはならないのは当たり前。

しかし全く同じ性能の作業であれば最新技術を使わない手はないと私は思います。

 

ここからは少し余談です。
お寺の修繕工事等で「当時の技術を使って」という風潮があります。
私には違和感があることがたまにあります。
もちろん当時の技術の承継等、必要な部分があることはわかります。

でも、「その建物は当時の最新技術で建てたハズ」だと思うのです。
飛鳥時代に優秀な工具があれば使っただろうし、金具が発達していたら使っただろうし、クレーンがあったら言わずもがな、ではないでしょうか。
何故そう思うのかといえば、当時の日本にはない技術・様式で建立しているのだから、です。
(神社は常若思想の中でわざと古い技術を使っている場合もあると思います。神宮の式年遷宮が代表例です)

実際現代のお寺等の古い建物の修繕も新しい道具、機械を使うことももちろんあります。

私はそれで価値を失うなんて思っていません。

古くからの技術や知識を踏まえた上で最新技術の導入と融合が必要なことだと思います。

 

というわけで最近の電動工具のお話でした。

今度は古い道具のご紹介もしてみたいと思います!

道具の進化

建築の道具、工法は本当に日進月歩で進化しています。

先日、年配のお客さんが大工の作業を見て一言。
「最近はそんなことができるん?へぇ~ほぉ~!」

これはレーザーレベルが水平を出している場面でした。

「レベル」とは水平のこと。
建物を建てる、部屋を作る・直すためには絶対的に必要なこと。
高さの基準を絶対的なものにする道具がレベルです。

このレーザーレベル、一瞬で建築現場を席巻しました。
一昔前は、目で覗く水平レベルを使っていました。
これは今でも屋外であったり、広い場所では使います。

↑水平レベル
城崎温泉のイベント等でステージを設営する時に使います。
周りのみんなは「何が見えるの?」
といいますが、全く水平しか診ることができません(笑)

もっと昔、私が就業する以前は「水盛り」でした。
これは建築現場の水平を見るために、ホースに水を入れてあっちとこっちの水面が並行であることを利用して現場全体に同じ高さの基準を出すことです。

↑水盛り

そして今はレーザーでズバっと水平を照らしてくれます。
本当に画期的。
水平を出す作業の時間がぐっと短く、正確になりました。

私が大学生の時。
水平レベルやトランシットという現場の基準を出す作業の練習はしたことがあります。
何分以内に設置できるように・・・と。
しかし正直レーザーは見たことなかったんですよね。

そしてゼネコンに入社。新人の現場監督になりました。
杭打って、基礎工事して、躯体(コンクリート工事)して・・・
いよいよ内装工事という時に、先輩の現場監督、岩崎主任がこういいました。
「おい六浦、あのレーザー、ほんまに便利だけどめちゃくちゃ身体に悪いから絶対触るなよ。3回当たったら死ぬらしいで」
それからというもの、作業中の現場室内に入る時には細心の注意を払いました!まだ死にたくないと!
当時はまだ水平1本しか出ないものが主流で電池もすぐ切れるので注意すれば避けられたんです。
※今のレーザーは水平垂直。直上直下も出ますし、30分くらいもつので避けるのは至難の業です

職人さんにも変に思われるくらいよけによけてたんです。
そうして1ヶ月ほど経ったある日。
岩崎主任と一緒に作業していると、レーザーの光に当たっているのです!
「主任!危ない!!」
そう声をかけた私に「あほ。あれは嘘に決まってる」

ガーン。
本当にショックを受けた出来事でした。

今なら、絶対に信じません。
でも当時は本当にレーザーに当たったらあかんもんだと思っていたんです。
なんて純粋だったことでしょうか(笑)

建物には基準が本当に大事。
そんなお話でした。

建築の道具には古くから使われているもの、最新の工具まで幅広くあります。
時代に合わせて取捨選択が必要ですね。

また工具の紹介もしていきたいと思います!

コンクリートは魔法の材料

今日はコンクリートのお話をしてみようと思います。
谷口屋工務店では住宅基礎程度にしか使わないコンクリート。
鉄筋コンクリートの建物もたくさんありますね。

何がすごいって、「形が自由自在」になります。
もちろん木材も削れば好きな形に成型できますが、コンクリートは型に入れると、その形に硬化してくれます。

まずはコンクリートは何からできているかご存知ですか?

水+セメント=セメントペースト

セメントペースト+砂=モルタル

モルタル+砂利=コンクリート

つまりコンクリートは
セメント+水+砂+砂利でできています。

硬さ(コンクリート強度)も自由に変えられます。
注文するときは「24-18-20のNでお願いします」という感じ。
24N(ニュートン)の硬さで、スランプ(柔らかさ)18cmの細骨材の最大寸法が20mmで普通コンクリートという意味です。

24Nとは、1㎡(1m×1m)の広さに2400トンの重量が乗っても大丈夫という意味です。
畳半分くらいに70kgの成人男性3万4285人乗るようなもの。
100人乗っても大丈夫、の某物置なんてものではありません。
鉄筋コンクリートの建物なら上階の重量を、木造基礎ならは構造を含めた全重量(家具・住人含めて)を支えるための強度ということになるんですね。

もうひとつマメ知識。
「生コンクリート」って言いますよね。
なぜ「生」なのか。
それは、コンクリートは材料を混ぜた瞬間から固まりだすのです。
だから運搬もミキサー車で常に混ぜかしながら運ぶしかありません。
「練り混ぜてから打ち込みの終了するまでの時間は、原則として外気温が25℃を超えるときは1.5時間、25℃以下の時で2時間を超えてはならない」
こういう決まりがあります。
ポンプ車で打設するのに15分しかかからないとしても、運搬に使える時間は1時間ほどしかないんです。
つまりコンクリート工場の30~45km以内の現場にしか使えないんです。
都会は道路も込むし、もっと短い距離になることでしょうね。

ですからコンクリート工場は点在しているんです。

ちょっと隣の県からまわしてもらって・・・なんてことはできないんですよね。

 

 

 

あまり専門的になってしまうので難しい話はこの程度にします。

寒い時は強度を増したり、冬季は早く固まるコンクリートにしたり。
現場に合わせて選択します。
打設(流し込むこと)から4週間後に予定の強度を出して、その後4年以上かけて徐々に強度を増していきます。

コンクリートはアルカリの性質を持っています。
打設後は空気中の酸素に暴露(さらされることにより)することにより徐々に中性化していくことにより鉄筋が錆びると強度を失っていきます。
鉄筋コンクリートの寿命が50年と言われる所以です。
今では塗装・塗膜やガラス結晶化させて寿命を延ばす工法もあります。

コンクリートは奇跡の材料。
そして大学生だった頃に感動したコンクリートの魔術師といえばやはり日本一の建築家、安藤忠雄さんですね。
コンクリート打ちっぱなしの理路整然とした無骨さの中に洗練されたフォルム。
(もちろん安藤さんは木を使った設計もすごいんですけど。木の殿堂も安藤さん設計です)
大阪茨木の光の教会を1人で見に行ったのを思い出します。

今年は城崎温泉開湯1300年ということの中で4月26日に安藤忠雄さんのトークショーが城崎国際アートセンターであります。今から楽しみです!

城崎温泉が今年で開湯1300年を迎えます!

改めまして、明けましておめでとうございます。
本年も宜しくお願い致します。

 

さて、雪も降らない年末年始でしたね。
昨年は記憶にないほど雪が降らず、積雪しない珍しい年でした。
今年も今のところアラレがパラついたりはしますが、回数も少なく、積雪がありません。
1月はこのまま進む雰囲気。
2年連続の積雪なしかも?!

谷口屋工務店では除雪の機器をもっているわけではないので煩わしいだけの雪。
朝、事務所や工場の前の雪かきをして、現場の雪かきをして、やっと作業。
ひどい時は2時間が無駄になります。
お仕事としてもたま~に屋根の雪降ろしや除雪器具が使えない四所神社の雪かきをするぐらい。
雪がないだけでもありがたい、弊社です。

とはいえ、やはり雪がないと仕事にならない業種もあるわけです。
身近では道路や駐車場除雪を請け負う建設業、神鍋の観光産業。
城崎温泉としてもうっすら雪化粧の景色は冬の醍醐味でもあります。
ほどほどに、降って欲しい。そう願うところです。
去年、今年の分まで来年降るなんてことだけはご勘弁願いたい(><)

さて、表題にあるように城崎温泉が今年、開湯1300年を迎えます。
城崎に温泉が湧いて、1300年。
温泉寺の開祖、道智上人の一千日のご修法により温泉が湧出したのが養老4年(720年)だったそうです。
だからって昨日や去年と、明日や来年と何が違うわけではありません。
また1日、1年先まで、10年先まで・・・と思っていれば開湯1400年になってくれることだと思います。

1300年はやはり節目であることは紛れもない事実。
節目は、温泉の恵に感謝するチャンスでもあります。

私は城崎温泉観光協会や豊岡市商工会城崎支部で活動していますので城崎町民や豊岡の皆さん、観光客さんにこの節目を伝えることをしていきたいと思います。

観光協会では現在進行系で「1300年祭(仮称)」を計画中です。
あんなことや、こんなことをしてもちろん皆さんに楽しんでもらえる、喜んでもらえることを考えたいと思っています!

UTSUROI TSUCHIYA ANNEXが様々な賞を受賞!

昨年工事させていただいたUTSUROI TSUCHIYA ANNEX。
色々な賞に応募されています。

その中でグッドデザイン賞を獲得されました。

https://www.g-mark.org/award/describe/49486

↑↑グッドデザイン賞のページ↑↑
設計の垣田先生のご厚意で弊社にも賞状を頂きましたのでさっそく事務所の入り口に掲げました!

いろいろな賞はあるのだと思うのですが、実は「応募する」こと自体が大変です。
大変な手間や、経費がかかります。

それでも応募する!という気概の中には垣田先生の「作品に対する自信」を感じることができます。

そうやって気概を持った作品が、全国より多数集まったその中で受賞することは本当に凄いことだと思います。

グッドデザイン賞に続いての受賞は「第29回日本建築美術工芸協会 優秀賞」です。


こちらもそうそうたる出品者(社)でした。
スーパーゼネコン(日本の最大手建設会社)や、超有名設計事務所など50点以上からの選出。


プレゼンも行われ、現地での視察もあって。
満を持しての受賞。

 

正直、田舎の小さな工務店でこういった受賞作品に携わる仕事ができるとは思っていませんでした。
自社大工や協力業者と相談し、垣田先生やお施主さんと一丸となって完成した工事が受賞という実を結ぶのことがこんなに嬉しいことだとも。

UTSUROIの前をこども園の登下校で城崎地域の子どもやご家族が歩きます。
外国人観光客が目を輝かせます。
「映える!」と写真を撮るカップルがいます。

建築雑誌「新建築」に掲載されたときも、こんな社員10人に満たない工務店が新建築に掲載されたことないんじゃないか?と思いました。
田舎だろうと一所懸命仕事をすれば、報われます。

改めてお施主さん(つちやさん)、垣田先生をはじめプロジェクトメンバーさんに感謝ですね。何度感謝しても、し尽くすことが全くありません。
令和元年も残すところ1週間。
来年も頑張って仕事するぞ!

改めて心に誓ったクリスマスイブでした。

垣田博之建築設計事務所
http://www.kakita-arch.com/

カニシーズンになりました!

かなり久々になりました。
日々の仕事をごそごそしております。

あっという間に秋祭りも終わり、今年も残すところ1ヶ月半です。
そして城崎温泉は「カニシーズン」に突入です。
このカニシーズンという言葉、城崎人は当たり前に使っています。
要するに松葉蟹の解禁シーズンが城崎温泉の繁忙期ということですね。

つまり我々建設業では旅館さんの工事が皆無になる時期でもあります。
その反面、何か旅館にトラブルがあった際にはその日のうちに、もしくは明日のお客さんが来られるまでに直さないといけないシビアな季節でもあります。
(もちろん出来る事と出来ないことがあります)

私は城崎の観光協会に属していますので、豊漁祈願祭やカニ王国の開国式等、様々なイベントのお手伝いもします。

この冬は来年開湯1300年を迎える城崎温泉のイベント案を考えようと思っています。
観光客が喜ぶこと?地域住民が喜ぶこと?双方が楽しめること?

仕事と並行して考えようと思います。

もうすぐ秋祭り!

画像を検索していたら写真より遥かに迫力のある山田毅さんの画が。

無断使用いけなかったら消します。。。

10月14日と15日は城崎温泉で毎年行われる、そう、「秋祭り」。
だんじり祭り、ではありません。「秋祭り」です。
なぜかと言えば、答えは簡単。だんじり以外にも山車があるから。
そしてもちろんお神輿さんがあってのお祭りです。
↓↓細かいことは昨年の投稿にあるのでご興味ある方は読んでみてください↓↓

秋祭りの季節です!

さて城崎に生まれると、老いも若きも男も女も秋祭りが大好きです。
小さな温泉街を上部(かみぶ)、中部(なかぶ)、下部(しもぶ)に3分して盛り上がります。
上部には神輿台という山車に小壇尻。


中・下部には大壇尻と小壇尻。

ここで長年の疑問。
あれ?お神輿さんは??

通常、神社の祭礼といえば「神輿を担ぐ」ですよね。
東京の三社祭を始め、どこもお神輿さんです。

そこが城崎温泉が他の地域と違うところです。
じゃあお神輿さんは誰が担いでいるのか?

氏子総代(秋祭りを取り仕切る責任者です)が中心になって、各町内から割り当てられた人、町外から担ぎに来る人。それで足りなければ、上中下(かみなかしも)の現役世代(現役の中でも35~50歳くらい)から捻出します。

「神社のお神輿よりも、所属する部の山車が大事」
本当に特殊な考え方です。
でもこの環境に生まれついて育ってしまった私は、実はこの特殊さに気づいたのは二十歳くらいの頃。

それまでは何とも思っていませんでした。

 

今は個人的にはやはりお神輿さんが一番大切だと思いますし、氏子(地域の人)で担ぐべきなのだろうと思います。
他の神社の氏子であると思われる豊岡の人や、遠方から担ぎに来る人が城崎の秋祭りの主役を担いでいますから。
以前には外国人の姿もありました。おそらくAET(アシスタントの英語の先生)です。
いやいや、もはや異教徒!こちらは多神教だから良いとして、むしろ貴方、一神教だとして良いの??と思いました。秋祭りを神事として捉えていない証拠です。

「日本文化に触れるイベント」そう思っているのでしょうね。

もちろんその側面も備えていることは間違いないのですが、う~ん。。

 

 

じゃあ六浦は中部を辞めてお神輿担いだら良いでしょ、そういう意見もあるかと思います。

しかしながら、やはり生涯の友である連中の仲間と現役を過ごしたいと思ってしまうのです。ご容赦ください。
自分は現役全うして、年齢にもよるけどもしその時元気だったらお神輿さんを担ぎに出たいと思います。

 

昨年のお祭りの記事投稿では若い世代への感謝を綴りました。

今年はお神輿の扱いについて。

城崎の秋祭りって、どうしても各連中や各部の結束というかイベント感が強いんです。

でもやはり本来の目的は五穀豊穣。

つまりは城崎の地域の安定と発展をお祈りすることだと思います。

神事であるという大前提。

くだらないエゴや時代錯誤はなくす時代です。

新時代、令和の秋祭りが、始まります!

HOUSE OF EDGES

垣田先生より豊岡の住宅のブックレットが届きました。

先端の家、「HOUSE OF EDGES」

ここに完結です!

工事前の状況から、垣田先生の設計(STUDY)、そして工事中、完成。

1冊にまとめられてとてもわかりやすいです。

 

UTSUROI TSUCHIYA ANNEXと並んで弊社の名刺代わり、代表作の工事となりました。

それがこうやってブックレットになっているのが本当にありがたい。

 

 

余談になりますが、改めて両工事を行って感じたことがあります。

 

片田舎の、小さな木造工務店にだってできる!

ということ。

大きな世界を知らないだけに、「うちみたいなちっちゃいとこは・・・」とつい卑下しがちです。

しかし商工会で出会ったコンサルさん、街で知り合う経営のプロと話してても

「谷口屋さんってそんなこともできるの?それってすごいことじゃない?」

「その技術って全国の工務店さんにできることじゃないんじゃない?」

そう言われることもあります。

旅館のような和風建築、和洋折衷工事をする者としては、逆に当たり前のことすぎて。

どこか自信を持てないでいました。

 

でもこうやって、出来上がった物が良いんだから、きっと自分達の仕事は良いはず!

そう、垣田先生の案件を2件完成して思えるようになりました。

そして、いつも当たり前のように一緒に仕事をしている協力業者さんがいかに谷口屋工務店を、弊社の技術を支えてくださるかが骨身に沁みています。

 

私が谷口屋に帰ってきてからしたかったのが「竣工写真」。

正直なかなかできていません。

工事って、ひとつひとつ違うんです。

家を建てる、1軒1軒違うんです。(ハウスメーカーはほぼ同じかもしれません)

台所だけ直す工事。これも1軒1軒違うんです。

カタログとは言わないまでも、成果をカタチに残したい。

それを「可視化する方法、そしてその可視化したものをつかった宣伝の下手さ」が全国の小さな工務店の一番の弱点と言えるかもしれません。

 

確かにプロに頼むと経費がかかります。

自分で一眼レフで撮ったこともありました。

でも何か、違う。

 

こんな専門性の高い仕事をしてるくせにわかってなかったのです。

「餅は餅屋」

目先の経費だったり、工事完了から引渡しまでの期間がなくて撮影期間が取れなかったり。

(自分で書いていて耳が痛い・・・笑)

 

垣田先生は前職のネットワークで母倉さんという建築写真家さんといつも一緒に仕事をされています。モデルは建築学科の学生さん。

「餅は餅屋」

やはり専門職にお願いすれば、こんな素晴らしい建築写真に、そしてブックレットになります。

夜景は工事をしていても見たことがなかったので感動!

 

これから弊社にお仕事をご依頼くださる方に見ていただける。

そう思うだけで心が躍ります。

この投稿では一部の写真を携帯で撮っただけで本当の良さは伝わりません。

是非気軽にお声がけください!

皆さんに見て頂きたいブックレットです!

変わったご依頼

やはり弊社には変わったご依頼?

が多いのかもしれません。

 

昨年竣工したUTSUROI TSUCHIYA ANNEXさん。

今回は「ウッドデッキの上に自動車乗せたいんだけど」

 

こんなご依頼。

どうやら、

「MINI」が、MINI60周年を記念して「MINI Special Weekend in KINOSAKI-MINIと楽しむ城崎温泉の3日間―」を開催!その一環でウツロイのウッドデッキにMINIを展示するということのよう。

まず、そもそも論をおさらい。

ウッドデッキに自動車を乗せて良いものか?

確認するとMINIは1200kgほど。

4輪に等分すると仮定すると1輪当たり300kg。

成人男性4人強くらいの重量。

 

ちなみにウッドデッキの下地は60cm間隔に桧の大引きが約40本、走っています。

その大引きを受けるのはプラスチック製の束。約200個の束で重量を受けます。

ちなみにプラ束の耐加重は1個当たり3tほどは耐えます。

つまりウッドデッキ全体で600tの重量を受けられるわけです。

とはいえこれは理論値。

飛び跳ねたりする加重や不測の事態を考えて安全率を3とすると、200tに耐えることができます。

するとMINIの1.2tがいかに楽勝かがわかります。

とはいえ、ちょうと束の上に4輪がくるとは限りません。

ちょうど大引きの上に4輪が乗るとは限りません。

なので24mmの合板を4輪の下に敷いて重量を複数枚のデッキに伝達→大引き→束→地面へと重量を伝えることにしました。

 

何度もBMWの方や展示担当の方と電話で打合せ。

したことない作業は想像だけで進めるしかありません。

いざ設置当日。

 

不安もありましたが、順調に設置することができました。

良かった良かった。

MINIの展示や試乗が城崎温泉でできるのは9/14~9/16、この週末だそうです!

是非UTSUROIの展示やMMMのポップアップショップ、アートセンターで試乗なさってみてくださいね!

 

そして、この3連休を持って円山川公苑(CSR)で開催されていた対決展「令和日本流儀」もついに閉幕です。最終日はギャラリートークもありますので是非!

私も先日、再度見に行きました。

改めて日本画も、写真も凄いな~!と感動を新たにしたところです。

きっかけは昔の友人から連絡があったこと。

「電気メーカーのWEBページの事例集見てたらUTSUROIが出てきて谷口屋工務店って書いてあったから連絡した」とのことでした。

それで展覧会の話をしたら是非行きたい!ということだったので友人に合わせて私も見に行きました。

本当に色んな人から反響を頂いて嬉しい限り。

大きな工事から、したことのない作業まで。

色々なことが、日々是、勉強です!

「先端の家」竣工!

今年の春から工事していた豊岡市の住宅が竣工、引渡しをしました。

このブログでも度々登場していたこの現場。
UTSUROI TSUCHIYA ANNEXでいただいたご縁です。
設計は近畿大学建築学科で教鞭も執られる垣田先生。

 

垣田博之建築設計事務所

http://www.kakita-arch.com/

 

木造住宅と言うこともあり谷口屋工務店に声をかけてくださいました。
三角の敷地に立つ、こじんまり可愛いサイズの住宅です。
正直、高価な材料はほとんどありません。
でも設計デザインで贅沢な空間を作ることができる。
リビングは吹き抜けで窓のない大きな壁があります。

個人住宅でこんな大きな壁、しかも窓のない、見たことがありません。
田舎に住む日本人としては、色んな場所に窓が欲しかったり、少しでも部屋を大きくしたいものです。
垣田先生の設計では法規に準じながら「狭くて良いところは狭く」、大胆に広いところは広く、メインの導線からはコンセントプレート等目に付かないようにする等細かな配慮を伺うことができます。
ひとつの部屋の中でも空間の容量(ボリューム)の変化があることによって部屋の立つ位置、眺める角度によって印象がガラッと変わります。

2階の階段を上がると書斎兼勉強部屋が。
ここからリビングダイニングは室内窓で繋がります。
家事をするお母さん、宿題をする子ども、仕事をするお父さんが階を違えても同じ空間にいることができます。
声をかけることもできます。

垣田先生はウツロイから谷口屋の木材加工力を買ってくださいます。
優秀な大工がいてこそできる技です。
今の時代にアルミサッシは1枚もありません。
大工の作る枠にいつも一緒に仕事・作業する木工所の木製建具だけです。
階段、そして階段の手摺の加工・設置は大工の腕のみせどころとなりました。

本当にアイデア満載で、大変ではありましたがとても勉強になりました!

とはいえ建物は竣工が完成ではありません。
お施主さんのご家族が住まれてからがスタートです。
10年20年と時間を刻む中でメンテナンス等起きてくるものです。
長い間、ご家族が安心して住んで頂けるようにこれからもサポートしていきたいと思います!