建設業とは

「建設業」と一言でよく言います。
「土建屋」とも。

日本最大手のスーパーゼネンコンも、1人親方の大工も建設業。
設計事務所も、砕石屋さんも建設業。

これほど振り幅のある業種は少ないと思います。

弊社谷口屋工務店はもちろん建設業。
その中でも総合請負業(以前の投稿にも書きました)。
メインは施工です。

もちろん設計もします。
見積もりもします。
でもメインは施工。
施工とは?

「形にすること」です。
実際に作るということですね。

じゃあ設計事務所は?
デザインするということ。描くということ。
誤解を恐れずに書くならば、作り方は二の次です。

夢が詰まっています。
お客さんの想いを描くということ。

でもそれをカタチにするのは設計事務所の仕事ではありません。

それが我々、施工屋の仕事です。

(誤解を恐れず書いた部分、終わり)

デザインの意味と意義を読み取って、実際どうしたら作れるのかを考え、実際にひとつひとつ作り上げていきます。その現場を「納めて」いくのです。

デザインをカタチに。

それはお施主さんの想いを設計士さんが描いて、それをカタチにする作業です。

先日、城崎温泉の外湯で不具合がありました。
お風呂の内部に大きな木造の梁がかかっているのですが、そこに不具合があったとのこと。

確かに湯気がこもる場所に木材なんて・・・
湯船の中に扉(引き戸)なんて・・・

 

施工屋には思いつきません。
施工屋は常にメンテナンスのことを考えるからです。

御所の湯ができて何年?15年くらいでしょうか。
今回の不具合は適正な期間でおきたのか、早すぎるのか、良く持った方なのか。

それは受け取る人によってまちまちでしょう。

私は谷口屋工務店でたくさんの設計士さんと仕事をしてきました。
確かに設計士案件は大変です。正直利益も薄い。
しかしとても勉強になります。
私だったら、メンテナンス性、施工性を優先してしまうのでどうしても無難な方、無難な方へ設計が寄っていきます。予算も設計段階から頭の中をウロウロしています。

しかし設計士さんはやはり違います。
え!?そんなことするの?
ほんまにええの?
格好エエけど・・・
そう思うこともあります。
もちろん、良く考えられています。
練りに練られています。

おそらく一番考えられていること、それは

「攻めのデザインとメンテナンスのバランス」

です。

メンテナンスフリーが良いというお客さんもいらっしゃるでしょう。

1年に1度のメンテナンスはかまわない、そういう方もいらっしゃるでしょう。

いやいや、建物の為に1ヶ月に1回、簡単なメンテナンスならいいよ、そういう方もいらっしゃるでしょう。

 

 

初めて御所の湯に入ったとき、私は驚きました。
浴室内の大きな木製の梁。
湯船の中の引き戸。
圧巻でした。感動しました。

そんな感動をした人が年間何人いて、不具合で休湯するまでにどれほどいたことでしょう?
修繕にいくらかかるのか、どのくらいの期間かかるのかは知りませんが。
(ただ、この盆前のタイミングは残念としか言いようがありませんでした)

 

確かに。

施工者もデザイン力があるに越したことはない。
設計士さんも施工方法を熟知しているに越したことはない。

 

とはいえ、やはり餅は餅屋なんだと思います。
施工・設計それぞれ専門分野の中でも本当に振り幅が大きい。
それが建設業。
まずは自分の専門知識を拡充し続けたい。
そして、設計士さんのデザインを解読する能力をより身につけたい。
そう思って頑張ります!

 

 

 

 

 

 

 

余談
先日、城崎泉隊オンセンジャー終わりでビールをクイっとやっておりました。

「谷口屋工務店のブログ読んどるで!おもろいわ!」

と声をかけてくださった先輩がいらっしゃいました。
おもろいかどうかわからぬまま綴るこの文章が、届いている人がいる。
そう思うだけで小躍りしたくなります!

読んで下さっている方々、ありがとうございます!m(__)m!

城崎温泉の夏が始まります!(閑話休題)

豊岡の一戸建て、市営住宅の修繕、旅館のメンテナンス等を毎日行っています。

そして、城崎温泉の夏が始まります!

城崎で仕事をしていると色んな会の色んな役を申しつかります。

観光協会の夏の委員会だったり、城崎泉隊オンセンジャーの一員だったり。豊岡市商工会青年部の委員長も。

その中で一番大変なのは城崎温泉夏物語です。

四所神社で毎日縁日を開催します。

平日は毎日花火を上げます。

今年はこの夏の委員会の副委員長をしています。

大変、な中にも直接観光客のみなさんの笑顔に触れることができます。

縁日、花火、湯煙り太鼓、オンセンジャー、盆踊り、灯籠流し。

夏の城崎温泉は毎日何かしらのイベントをしています。

観光客さんはもちろん、個人的には豊岡や但馬人がもっと城崎温泉に来てもらえる、気軽な温泉地にしたいと思って活動しています。

柳祭りや竹野や香住の花火大会はもちろん良い。

しかし人も多いし花火の場所取り。

大変だと思います。

城崎は逆に毎日あるので気楽です。笑

花火も至近距離で待ち時間なく見ることができます。

ぜひ夏の城崎温泉に遊びにきてけださいね^ ^

私は城崎泉隊オンセンジャーの活動もしています。

今年は新しい取り組みを開始することができました!

以下、夏物語フェイスブックより

城崎泉隊オンセンジャーと記念撮影をしよう!

昨日より城崎温泉夏物語、夢広場(20:00~21:30)が始まりました!

今年の夏は2年ぶり!

夢広場特設ステージに城崎泉隊オンセンジャーが登場します!

8/4(日)と、8/18(日)です。

ぜひ、お楽しみに!

ショー後には記念撮影の時間があります。

旅の記念にオンセンジャーと記念撮影をしましょう!

とはいえ、オンセンジャーの登場は上記2日のみ。

「その日に城崎温泉に行かなきゃ記念撮影できないの?」

そんなお声をかけていただくこともあります。

そこで城崎泉隊オンセンジャーのスタッフ兼夢広場スタッフがARとして城崎温泉街にオンセンジャーを登場させることに成功しました!!

COCOARというアプリをダウンロードして、城崎温泉夏物語のチラシをスキャンすると•••

オンセンジャーが画面に登場します。

子どもさん、親子、カップル。

いつでもオンセンジャーと記念撮影することができます^ ^

ここで重要なのが「城崎温泉にいること」です。

GPSで城崎温泉にいるということがわからないとオンセンジャーは発動しないのです!!

「オンセンジャーショーの日じゃなくても、オンセンジャーと記念撮影ができる」

長年の悲願を達成することができました。

しかもARですので温泉街の至るところにオンセンジャーを出動させることができます。

太鼓橋や、外湯前、夢広場、旅館の客室、温泉寺・・・。

楽しみ方は貴方次第!

ぜひお試しくださいね^ ^

以上転載終わり

仕事だけでなく、地域振興やまちづくりも大切な役目だと思っています!

京アニ火災事件で思うこと

最悪の事態に見舞われた事件。
過去最大級の放火殺人事件が京都で起きました。
33人もの尊い命を奪った、本当に悲しい事件です。
評価の高い、新進のアニメ製作会社だけに若い人が、素晴らしい才能を持った方たちがたくさん働いていらっしゃったと思います。
たった1人の凶行によって。
本当に許されることではありません。

さて、心情的なことは一旦置いておくとして。
建設業者として。地域の消防団員として。
たくさん思うところがありました。

まずはやはり、「事件」であるということ。
人為的な火災は圧倒的に強烈な火勢を生みました。
いわゆる火事、給湯室のボヤ等では今回のような火災にはならなかっただろうし、死者の数も全然違っていたであろうことは容易に想像できます。
ガソリンをまいて、着火。
爆発と共に火災が発生したとか。
ガソリンは気化しやすいので、まくだけでも空気中に気化します。
そこに火をつけると爆発する。
爆発によって周辺の可燃物に引火します。
ガソリン自体が燃焼することで通常の火災では一番最後にならないと燃えないフローリング等も燃えていたかもしれません。

床が燃え、炎が避難経路を阻みます。

 

中央に螺旋階段が、奥に階段室があったようです。
階段部分はどうしても竪穴(たてあな)です。
火は上へ上へと燃え広がります。
だからこそ、一般的には階段と居室(きょしつ:常に人がいる部屋)は防火区画がなされているはずです。
延焼を食い止められるために。
防火区画はそもそもされていたのか(構造・規模によって求められる防火区画が違います)。
その防火区画は機能していたのか?
煙を外部に排出する(排煙)機能はあったのか?

排煙機能は作動していたのか?

 

今回の事件で死者が多くなったのはやはりガソリンが原因だと考えられます。
ガソリンの燃焼による黒煙の瞬時大量発生。
2階3階の人がパニックに陥る、視界不良で逃げ場を失う大きな原因になったと考えられます。
3階から屋上へ通じる階段には20人もの方が折り重なるように亡くなっていたと報道されています。

もし、屋上への扉を開けることができたら・・・
タラレバを言い出すとキリがありません。
しかし、しかし。
起きてしまった事件・事故のタラレバを心に留めておくことで未来の事件・事故を防ぐとまではいかなくても、被害を少しでも小さくすることができるかもしれない、そう思います。

ビルの中にいた人の半数が亡くなるという、本当に凄惨な事件です。
建設としては防火区画、排煙、避難経路(二方向避難)等がちゃんと機能していたのか。
本当に気になります。
消防団としては初期消火、消化設備、消防団の動き、消防署の消火活動。
普段の災害ではありません。
事件です。
何がどのように行われていたのでしょうか。

自分がその場にいたら。
何ができたでしょう?
何も出来なかったかもしれません。

今回の事件で、本当に世の中、何が起こるかわからないと思いました。
毎日疑心暗鬼で生きるのは人生として違うとは思いますが、ある程度不測の事態があっても冷静に対処できる自分でいなければ。
そう思いました。
簡単なことではありません。

しかし建設業従事者として、消防団員として。
例えば扉の壊し方は一般の人よりわかるはず。

例えば初期消火に一般人よりは早く対応できるはず。
救急救命が必要な事態ならば対処できるはず。

 

家族の為に、従業員の為に、お客様のために、地域のために。

こころがけだけでも忘れないようにしたいと思います。
本当に亡くなられた方たちのご冥福を心よりお祈り致します。

継続とヒットと青年部

このブログを始めて1年半になります。
建設業のこと、まちのこと。
週に一度ほど、どうにかこうにか更新しています。
(かなり頑張らないと週イチになりません笑)

さて、大学の友人からLINEがきました。
建築学科に通っていましたので同級生も建設業従事者がいます。
・Google先生に「ポンプ車 スクイーズ ピストン 違い」を聞いてみたら、三番目に谷口屋工務店が出てきた

そういうことだったようです。

 

ヒットした記事はコチラ↓↓↓

ポンプはやっぱりスクイズ式!

そんあことってあるんですね!
驚きました。
「谷口屋」で検索すると福井の油揚げのお店が真っ先に来ます。
https://taniguchiya.co.jp/
↑欲しかったHPアドレスです。笑

でも色々と書いていると、色々と検索にヒットするんですね。
これからも少しずつ記事をUPしようと思います。

さて、最近は日高(と豊岡の間)で大阪の業者さんの工事のお手伝いをしています。
ことの経緯はこうです↓↓↓

豊岡市商工会青年部の山本部長から連絡がある
↓↓
話を聞いてみると兵庫県青年部連合会の中西会長から連絡があったそう
↓↓
「大阪の業者が豊岡で仕事することになったそうだから助けてあげて」
その業者さん、大阪の商工会青年部員なんだそうです

というご縁でお手伝い。
大阪からはるばる豊岡で仕事されるということも驚き。
青年部の繋がりで連絡があることの驚き。

色んなご縁があります。
SNSのおかげで20年前の大学の友人との(こころの)距離が近い。
商工会青年部に所属しているから参加できる仕事がある。

本当に何事もおかげさま。
感謝感謝です!

令和日本流儀が始まります!

「令和日本流儀」
映像作家藤原次郎VS日本画家山田毅
令和元年7月13日(土)~9月16日(祝・月)
兵庫県立円山川公苑美術館
開館時間:午前9時~午後5時
※会期中は無休

7月13日~7/月15日の連休期間はお二人とも円山川公苑にいらっしゃるそうです!

言わずと知れたつちや旅館別館「UTSUROI TSUCHIYA ANNEX」の工事でお世話になった藤原次郎さんと山田毅さんの二人展。

映像と日本画という別ジャンルで「VS」つまり「対決」と銘打つのは見たことがありません。
芸術の異種格闘技戦。
とても楽しみです!

UTSUROI工事でお二人ともに仲良くさせて頂きました。

本当にお二人とも気さく。
そして私にとってはUTSUROI工事以前より存じ上げているお二人です。

 

山田毅さんの日本画といえばもちろんつちや旅館さんでお仕事をさせていただく時に至るところにかけられた作品の数々。
そして城崎の公共の建物、城崎国際アートセンター(旧城崎大会議館)、城崎小学校、城崎中学校、金融機関・・・
あらゆるところで作品をお見かけする、城崎町民にとっては(当たり前ですが)世界一身近な日本画家さんです。

UTSUROIのギャラリーは山田毅さん専用のギャラリー。

皆さん是非足を運んで欲しいです!

https://utsuroi.co.jp/

 

 

 

藤原次郎さんの映像と言えば、我々にとっては「城崎スケッチ」。


町内で行われる様々なイベント(城崎国際アートセンターであったり観光協会総会のオープニングであったり)で流される「城崎のベスト映像」といえば藤原次郎さんの映像であると言って過言ではありません。
城崎だけでなく、豊岡、但馬の様々な映像。
そして建築映像の数々。


城崎町民にとって世界一身近な映像作家さんです。

 

 

お二人とお話していると実に楽しい。
※以下、間違い、私の誤解釈があったら申し訳ありません
山田毅さん「次郎さんはええなぁ、パシャ!でええもんできる」
藤原次郎さん「毅さんはええなぁ、無い景色でも自分の感情でええもんできる」
※以上、間違い、私の誤解釈があったら申し訳ありません

表現や技法・手法は違えど、素晴らしい作品を創出されています。
そんなお二人がお互いを認め合っているからこそできる対決展。

是非皆さんも円山川公苑、行って見てくださいね。
夢広場期間、コウノトリチャレンジライド期間にも開催されているのが個人的には嬉しいです!

入札のお話

谷口屋工務店では豊岡市の公共工事に指名願いを出しています。

さて皆さんは「入札って何?」って思われているのではないでしょうか。

簡単に言うと。「公共工事を一番安く施工している会社を選ぶ」ということです。

例えば。
市営住宅に修繕等の必要が生じた場合、市役所が修繕の内容を設計します

指名競争入札願を出している会社から数社選ばれます

FAXが谷口屋に届くので設計図書・図面をもらいに市役所に行きます

約10日間で入札内容の見積りをします(途中質疑があればFAXを送ります)

入札当日を迎え、各社が希望する値段が書いた入札書を提出します

市役所の担当官が開封して予算に合えば一番値段の安かった業者が選べれます

落札者は契約・着工へ進みます

入札の流れはこんな感じ。

1回目の入札で市役所の予算より札の金額(各社の希望金額)がオーバーしていると2回目の入札を行います。
つまり業者はその場で自分の利益を減らして工事してもいいかを判断し札の金額を変えて提出します。実行予算、不確定要素の確立、金額。書類作成の経費。

何をどこまで削減してまで、工事をする意味はあるのか、儲けはあるのか。

瞬時の判断。手が震えます。

 

そうして入札をしても2回目でも市役所の予算をオーバーしてどこも落札しなかった場合は「入札が流れ」ます。
設計はそのままで業者を全部入れ替えて入札をやり直すか、設計を変更して同じ業者で再度の入札を行います。

こうして市役所は工事を発注しているんですね。
これは建築に限らず、電気設備や土木、教育なども同じだと思います。

豊岡市の入札には「最低落札制限価格」というものが設定されています。
これは安すぎたら失格!してしまうという制度。
例えば。

市の予算が100万円の工事があったとします。最低落札制限価格が80万円に設定されていたとしたら。

・110万円の札→落札できません(予算超過)
・90万円の札→落札できます
・79万円の札→失格
こういうことです。
市民の皆さんからすれば税金で行う公共工事。安い方が良いに決まっているのになんで失格にするんだ!って思いますよね?

これは不当に安い金額で受注されることを防止すると共に中小企業を守る意味合いがあると思います。

後は「安く落札してあとで増額を狙う業者の防止」もあると思います。
工事でどんなに緻密な設計がされていてもどうしても不確定要素があったりします。
それにいちゃもんを付けてあとから増額する業者もいないとは言えません。

バブルの頃は、1円入札が流行った、なんて話も聞きます。
これは1億円の物件でも、1円で工事して役所とのパイプを作るために行われていたそうです。そうやって官製談合に持ち込んでいたとか。今や、大昔の話です。

こんな感じで入札が行われます。
先日弊社では内島(城崎町内)の市営住宅の修繕工事の入札を落札しました。

実は入札というのはいつ、入札があるかは事前にはわかりません。
いきなりFAXが事務所に届きます。

入札に指名されたら忙しかろうが暇だろうが、見積もりを10日ほどでしなくてはなりません。(もちろん指名して欲しいので毎年指名願いを出しています)
仕事が取れるかどうかはもちろん入札次第。

準備して臨むのですが、その日、その場まではどうなるかわかりません。

その場で会社の売上げが何百万も変わってきます。

職人を工期内に終了できるように集めるのも仕事が取れてから。
毎回毎回、緊張して入札に臨みます。
あまり心臓には良い制度ではありません。笑

 

物干しの取付と棚の増設。

城崎のアイデア園長、といえば言わずと知れた城崎こども園の西垣園長。
「軒先に物干しつけて!」
と連絡を頂きました。

???物干し???

お話を伺って考えます。

用途、頻度、重量。

調べるとちょうど良い製品があります。
「ホスクリーン」という物干しの金具。


こども園の園庭の軒先はケイカル板仕上げ。
S造(鉄骨)の建物なので下地は軽鉄(軽量鉄骨)です。
木造工務店としては得意分野とは言いませんが、これだけのために軽天屋さん(軽量鉄骨下地やボードを張る専門職)を呼ぶのは忍びない。
大工と二人で取付します。
思った通りの場所に下地がいてくれました。

難なく取付完了!

ハンドルをまわせば物干しが降りてきます。
最近は良い製品がありますね。
収納してれば見た目も蛍光灯みたい。笑

玉ねぎを干すそうです。

こども園の軒先に玉ねぎを吊るしている風景。
面白いですね!
子どもが吊り下がって壊さないことだけを祈ります(-人-)

 

 

 


続いては昨年オープンした旧消防署の場所にあるUTSUROIカフェ。
営業していかれる中で棚を増やして欲しいというご要望が。

使い勝手に合わせて増設する。
それも建物の醍醐味だと思います。

マグカップをたくさん乗せる棚は重量に耐えられるように腕付き。


見た目はあまり良くないのですが、使い勝手重視です。
直下にコーヒーメーカーがあるしほぼ見えないはず。

あと二つの棚は、既存の棚と同じ方法。
先に棚受けを壁に取り付けて、棚板をドッキングしていきます。

こんな方法で棚が作りつけられていきます。
ご存知でした?

そしてマグカップ用の棚は滑って落ちないように5mmの立ち上がりを前と側面の三方に付けてあります。

 

ちなみにこれは「家具屋」さんの仕事。
家具、といっても大塚家具や竹田家具ではありません。
弊社では協力業者、「コトブキ木工」さん(豊岡江本)にお願いしています。

正直、家具屋さんの仕事は金額が張ります。
でも大工とは全然方法がちがうのです。
図面・製作・施工の方法。
そして家具の仕上がりはとても美しい!
何と言っても「餅は餅屋」なのです。
大工でも、同じ見た目の物を作れないことはありません。
しかしその道の経験不足、仕上がりにムラがでかねません。

それは例えるなら、「ラーメン」。
美味しいラーメンをお店で食べて600円(税込)だったとしましょう。
家で自分で作れるか?
作れるかもしれませんが、練習しないといけなかったり、無駄な食材があったり。

できたとしても、1杯600円(税込)では無理でしょう。
そんな感じ。

そして、ワンオフ、つまり「その建物専用」です。
同じものは世界にふたつとありません。
それが既製品にはない、職人技の意味と価値です。

建設業では本当に多くの職種の職人さんと仕事をします。
「大工」は弊社では多能工としてちょっとしたことなら土工や足場組、コーキング、システムキッチン組立、左官・・・をしたりします。
しかしやはり専門職は知識も技術も全然違います。
専門職の仕事を見るたびに、感心することばかりです。
もちろん、大工も木工事では専門職として腕を遺憾なく発揮してくれます。

知識・技術。大工は施工職人の王様だと私は思っています。

(木造工務店の贔屓目かな笑)

 

 

新しい製品のお世話になったり。職人の技術に頼ったり。
本当に、建築は面白い。

内外も随分進んできました。

外壁はガルバリウム鋼板の部分とモルタル塗りにリシン吹きつけ仕上げなのですが、モルタルの方も順調に進んでいます。

外壁の大面積にモルタルを塗って仕上げていくことは最近はかなり少ないんです。
「サイディング」というモルタル成型板に代替されることが多くなりました。
これは工場製品(工業製品)であり品質が均一でメンテナンスが容易であるから。

今回の現場では外壁下地に専用の下地ボードを打ち、モルタル(アルカリ)耐性の防水紙を貼り。ラスという金網を貼っていきます。ラス金網を貼ることでモルタルに厚みを出しつつ建物に貼っていきます。

そしてモルタル塗り。
のんびり塗ってたら(塗装かけるとはいえ)モルタルの色が変わってしまいます。

面ごとに5人がかりで塗っていく作業。
やはり職人仕事を見ているのは楽しい!

そしてこの建物の窓は全て「木製サッシ」です。
いわゆるアルミサッシ、鋼製サッシはありません。
モルタル塗りに整然と並ぶ木製サッシの枠。

格好いい外観になりそうです!

大工の仕事も内外の枠周りの納まりが上手くいけば難しい部分はほとんど終わり。
設計士さんにもたびたび現場に足を運んでいただいて打合せ。


枠取り付けの目処がつきました。

あとは終盤の難関の階段作り。
大工の腕の見せ所。

完成が楽しみです!!

順調に進んでいます

さて、住宅の工事です。

順調に進んでいます。

プロジェクト名が「T-HOUSE」から「先端の家」に変わりました。

寒暖の変化の多い但馬は豊岡に置いて、断熱は重要事項。

高性能グラスウールをぴっちり入れていきます。

高性能品は触るだけでもわかるほど断熱性が高い。

夏の暑さ、冬の寒さからご家族を守ってね!

外壁は屋根材の鋼板と、モルタル塗り(リシン吹き付け)の二種類。

グレーのガリバリウム鋼板が西日を遮断します。

隣に某運送会社のトラックヤードがあることもあり、トラックの荷台も連想されます。

この壁の内側はリビングの吹き抜け。

窓の全くない2階までの大きな壁は住宅ではみたことがありません。

つい窓を作りたくなるのが常。

しかし窓のない壁がこんなに格好良いとは!

新しい発見です。

だんだん建物が住宅になってきます!

長年の疑問でした。閑話休題

18年前。前職のゼネコンに入社し、現場監督として働き始めたころ。
新人現場監督の仕事に「朝礼の司会」というのがありました。
毎日50~100人くらいの職人を前に朝礼を行います。

「5月20日月曜日!本日の朝礼を始めます!」
私の一言を皮切りに、所長(現場代理人)より一言挨拶。
各職種の作業内容を各職長さんが言って、私が現場全体の今日の危険作業の有無や気をつけることを言います。
最後にラジオ体操を全員で行って朝礼は終了です。

この5月20日。
もちろん「はつか」と読むということは知ってます。

ただ、その日は何故か、「にじゅうにち」と読んだ方がわかりやすいかな?と思って「ごがつにじゅうにち・・・」と朝礼を始めたことがありました。

その日の朝礼直後です。
現場監督の主任(私の上司)に首根っこつかまれて説教されました。
「なんだあの朝礼は!小学生からやり直せ!」
常識がないとバッサリ。

次の月から二十日(はつか)と言うようにしました。
ついたち、ふつか、みっか、よっか、いつか。
もちろん1日(いちにち)2日(ににち)とは言いません。

7日はしちにちがいいにくいのでななにちと言いたくなるのをグっと我慢。

 

10日、とおかまでは良いんです。不安になんるのはその先。
15日は「じゅうごにち?」それとも「じゅういつか?」
17日は「じゅうななにち?」それとも「じゅうなのか?」
18日は「じゅうはちにち?」それとも「じゅうようか?」

さすがにないとは思いながらも、なんで一桁日だけこんな特殊な読み方なんでしょう?

 

この疑問を胸にこっそり抱いてそれから18年生きてきました。
それを今更ながら、何の気なしにネット検索したら、あっさり解決しました!

そうなのか!
これは実際のところ、小学校で習ったのか?
私が覚えていないだけなのでしょうか?

そして14日だけ、「じゅうよんにち」じゃなくて「じゅうよっか」でええんかーい!
以前にも日本語の数の数え方という記事を書いたことがあります。
やっぱり日本語ってめちゃくちゃ面白い!(反面難しい)

言葉って時代と共に移り変わります。
現代では平安時代の言葉を使っているわけではありません。

江戸時代とも違うでしょう。

ひょっとしたら昭和とも違うかも?
意味が変わってしまった言葉もたくさんあります。
これから先、令和の時代もきっと変わっていくのでしょう。

 

とはいえ、気になることもたくさん。
30年前、父に「ふいんきちゃう!雰囲気(ふんいき)や!ちゃんと喋りなさい」と怒られたことがあります。子どもながらに一生懸命直しました。
今でもTVや周りの会話の中で「ふいんき」と聞くたびにピクっと反応する自分がいます。

8年くらい前に直した言葉があります。

それは「嫁」呼称です。
それはあるお寺の若さんと話していた時。
「私の妻がね・・・」と話し始めるお寺の若さん。
その時の私には「妻」という言葉に凄い違和感がありました。

何格好つけとんね~ん!的な。
関西芸人を中心に「うちの嫁」呼称が世の中に蔓延しているんですよね。
若さんに聞いてみると、自分のお師匠さんに奥さんを紹介した時に怒られたんだとか。
「常識が無いよ」と。

嫁は、自分の子どもに嫁いでくる人のこと。
妻は、自分に嫁いでくる人のこと。

「うちの嫁が、」という言葉では、自分の子どもの相手になってしまいます。
なるほどと感心し、その日から妻と呼ぶことにしました。
三十歳過ぎてからの意識的な呼称変更はかなりてこずりましたが、なんとか矯正に成功。
世の中、圧倒的に嫁呼称が闊歩していますがたまに妻呼称の方に会うとおっ!っと感心します。笑
嫁、妻、奥さん、家内、細君、かみさん・・・
どれだけ異音同義語があるんだ、日本語。

む、難しすぎる・・・

 

言葉は時代で変わるもの。
近い将来、嫁呼称に飲み込まれる気しかしませんが、それは時代としてしょうがないことだと受け止めなければならないのかもしれない。
しかし、最後まで抗ってみようと思います!

というわけで40歳にしてやっとカレンダーの読み方をマスターしたということと、やっぱり日本語は面白い!というお話でした!

建物の形になってきました!

さて上棟することが出来、建物の形が見えるようになってきました。

土台、柱、梁。
それに束を建て、母屋を乗せ、垂木を打ちます。
柱の間には間柱、筋違い(すじかい)を入れ、各接合部分を専用の金物で緊結していきます。

今回の建物、ズバリ!「斜め」がポイントです。
垂木も斜め、母屋も斜め、屋根はもちろん斜め、天井も斜めに施工します。

難しい作業も若い大工の棟梁と設計の垣田先生と相談しながらひとつひとつを収めていきます。
難しい部分が綺麗に決まると、本当に見ていて気持ちいい!
必ず素敵な住宅になります!

震災記念日(5/23)閑話休題です

94年前の五月二十三日。
北但大震災がおきました。大正14年のことです。

城崎地域ではほとんどの家屋が倒壊したと聞きます。
私の曽祖父の兄妹も亡くなったそうです。
5/23は震災記念日となっています。

↓↓北但大震災の記録(城崎編)↓↓

http://www.city.toyooka.lg.jp/_res/projects/default_project/_page_/001/000/671/kinosaki.pdf

 

 

我々地域の消防団も大規模な訓練を行います。

今回の訓練で私の所属する第一分団(ひたち班)のホースの筒先から水が出ることはありませんでした。

ポンプ車のトラブル。

実際の火災ではなく訓練で本当に良かったと思います!

どこが悪いかを点検してもらいました。

とうりあえず、の処置が見つかったとのこと。

しかし近い将来、修理してもらわないといけませんね。

 

そして温泉寺にある震災鎮魂碑にお参りします。

さて、城崎温泉はこの震災から見事な復興を成し遂げた町としても知られます。
震災前は細かった道幅。
震災後、沿道の人々が我が敷地を道路として提供し、道幅の拡張が行われました。
現代では考え難いことです。
そのおかげで?敷地が小さくなり、上へ伸びて木造3階建て群となったのかもしれません。

また、街区毎に公共性の高い建物はRC(鉄筋コンクリート)造とされ、火災発生時の延焼防止の火伏せ壁の意味もあったそうです。
学校、銀行、郵便局、民間でもみなとや商店さんなどなど。

約100年前にこのような町づくりがされていたことは本当に驚きの一言です。

城崎の木造三階建て群、今の町並みの原型はこの時に作られました。

それから今日まで守られてきた町並み。
しかしながら起きてしまった喜多町での火災。

我々は地域人としてこの町の防災を常に意識していかなければなりません。
もしここで火災が起きたら一番近い水利はどこか。
どこに消防車をつけて配管・放水するのか。
そのための訓練をする日でもあります。

地域人、消防団員であるのと同時に私は建設業従事者です。
火に強い建物。延焼させない建物。
これも永遠かつ身近なテーマとして意識しています。

高いお金だして家や事業所を工事して。
震災や火災で失ってしまっては悔やんでも悔やみきれません。

そして、一般の方々にも是非予防意識を持っていただきたい!
火災は出さないのが一番!
もちろん当たり前のことですが。

皆で協力してわが町、ふるさとを守っていきましょう!

 

上棟しました!

少しオサボリしておりました。
さて現場は4月の中旬のお話です。

基礎ができて、ついに上棟です。
上棟(じょうとう)とは・・・
地域によっても違うようですが、「棟木(むなぎ)を上げる」という意味です。
簡単に言えば家の骨組みを組み立てる、ということです。

よく、「たったの1日(もしくは2・3日)で組みあがるんですね!」と言われます。
それは大人数で重機を使って一気に組み上げるから。
組むのは難しいことではなく、そのあと垂直や水平をみながら金物で緊結していくのは意外に手間隙がかかります。

さて現場は生憎の天気。
弊社の建て方(上棟の別の呼び方)は雨。
私が入社して15年。晴れの建て方は2度ほど。
雨の建て方は数え切れません。笑

雨はどうしても効率が落ちてしまいます。
しかし木材は雨で濡れてもほとんど滑りません。
とにかく怪我・事故だけはないようにと心がけて作業します。

もちろん怪我・事故をしたくないのは自分達、職人達のため。
ですが同時にお施主さんに嫌な思いになって欲しくないから。

今回の住宅は規模は可愛らしいけど難しい部分も多い。
普段なら当然1日で上棟しますが、天候のことも考えてまあ2日かなと考えていました

 

現場にはレッカー(ラフタークレーンのことを但馬ではレッカーと呼びます)がドーンと鎮座。
柱を立てて、レッカーで梁を吊り上げ、1本ずつ掛矢(大きな木の槌です)でハメ込んで行きます。

大工はするすると梁の上で作業。
私は次に組む木材探し。

雨天の作業ながら順調に進み、なんとか棟まで上げることができました。
棟木に神社より授かった棟札を付けて無事に上棟作業終了です。

やっと建物の形になってきました!
引き続き作業を進めていきます!

 

※現場とブログは異なる時間が過ぎています
ネタ枯渇防止のためです。笑

 

 

上棟へ向けて!

閑話休題が続きました。

久しぶりに現場に戻っていきましょう。

現場の方では基礎工事が終わりました。

前回の記事より立ち上がりも基礎作成。
レベラーモルタルで水平を出して基礎は完成です。

その次は外部足場を設置します。

建て方に先立って足場を組むので先行足場といいます。

今回の建物には吹き抜け部分もあるので内部には「ローリングタワー」も設置。

ローリングタワーは足場の最下部がタイヤになっているので動かしながら作業ができます。

 

 

木造建築の花形作業は何と言っても「建て方、上棟」です。
これは柱、梁、屋根まで架ける構造躯体(こうぞうくたい)の組立て作業になります。

昔はひとつひとつの仕口(しぐち)の加工を大工が手作業で行っていました。
それが今はプレカットで行います。

プレカットとは機械で仕口を事前に(プレ)加工(カット)するという意味です。

大工の墨付け・加工の手間が省けますが、その分綿密な打ち合わせが必要になります。
また、墨付けを大工ができないようになると技術が落ちてしまいます。

全てを機械頼りにならぬよう、現場と作業の規模に応じて谷口屋工務店では手法をわけています。

で、今回のプレカット。
斜めの建物、屋根も斜め、梁も登り梁です(通常は水平に架けます)。
設計の垣田先生にも加わって頂き、綿密に打ち合わせを行いました。
途中から頭がクラクラするほど濃密な打合せ。

そしてプレカットの技術の進歩も実感しました。
以前はできなかった斜め加工も最新の機械で可能になっています。
機械で出来ない部分はプレカット工場で大工が加工するのですが、それも無く機械で加工できたようです。

今回の建物の加工がプレカットできるなら、ほぼ全ての木造建築の加工ができると実感しました。
とても良い経験になりました。

金物も到着。

玄関ポーチの柱を受ける金物です。

こちらも設計士さんこだわりの金物。

通常のものよりシュっとしています。

こんな形状の金物があるとは知りませんでした。

こちらも勉強になります。(少し値は張りますw)

 

さて、現場の方は建て方を明日に控えて、土台の設置作業です。

大工が墨に沿って土台を1本1本設置していきます。

土台は上屋と基礎が一体となるように基礎コンクリートに埋め込んだアンカーボルトで緊結していきます。

土台がピンクがかっているのは防虫防腐剤を塗布しています。

周りの土の高さより1mの高さまで道中防腐剤を塗っていきます。

 

とりあえず1回目。上棟したらもう一度塗ることにします。

この作業はほとんどの現場で毎回、私の仕事にしています。

上棟前、上棟後に心を込めて塗ります。

少しでも長持ちして欲しい、お施主さんの生活を支える部分であるという気持ちを込めて塗ることにしています。

私は大工作業はお手伝い程度しかしない(できない)ので、できる作業はなるべくしたい(したがり)んですよね。

 

防虫防腐剤を土台に塗ったらいよいよ次の作業は、建て方です!
建て方は上棟(じょうとう)、つまり棟を上げる作業までを目標とします。
今回のお施主さんは六曜など気になさらないとはお聞きしてはいるのですが、悪い日にならぬよう、また事故を起こさぬように中止しながら1日で上棟したいと思います!

(ちなみに友引の日に上棟しました)

明日明後日は城崎温泉まつりです!(閑話休題)

 

4/23、4/24は城崎温泉まつりが開催されます。
やはり城崎は温泉のまち。
温泉に感謝する、とても大切な機会です。

元々は城崎温泉守護の寺、温泉寺の開山忌です。
4/24温泉寺本堂にて法要がおこなわれます。
23日はいわば、「開山忌イブ」、前日祭といえるのかもしれませんね。

普段このブログでは観光情報等はあまり発信していないのですが、温泉まつりには人一倍想いがありますので書かせてもらおうと思います。

私は12年前に「城崎泉隊オンセンジャー」を始めました。
これは旅館の若旦那が中心になって当時流行っていたローカルヒーローという手法で城崎温泉を対外的にPRする、そして地域にローカルコンテンツの紹介と城崎愛を子どもたちに育むことを目的に結成されました。
旅館の若旦那に声をかけてもらい、初期よりメンバーとして参加させてもらうことになりました。

 

オンセンジャーのショーでは城崎の子どもにヒーローショーを通じて温泉や温泉寺、まちの中で起こっている出来事、そして城崎の伝統文化を盛り込んで伝えています。

子どもたちが道智上人(どうちちょうにん:温泉寺開祖)を知り、湯勺を知り、温泉に感謝する。
そのことを子ども達が口にしているのを聞くたびに嬉しくなります。

始めた頃に10歳だった子どもが、今は大学を卒業し、社会人となる年代になっています。
あの子達が今でも城崎にふるさと愛を少しでも感じてくれていたら嬉しいです!

昨年は活動休止状態だったオンセンジャー。

オンセンジャーの生まれた日、温泉まつりに華を添えるべく復活です。

(少しでも楽しんでもらえると良いのですが)

 

さて、温泉まつりですが、詳しくはチラシ、観光協会HPを見て頂くと良いのですが簡単に。

http://www.kinosaki-spa.gr.jp/pdf/onsen-fes2019.pdf

4/23(火)は古典行列、わくわく宝探し(商工会青年部)、特設ステージイベント(観光協会)が行われ、大谿川沿いには露天が多数並びます。

駅通り公園の特設ステージでは
18:00~18:30 こどもダンサーズと踊る「きのさきゲムファミレ」
18:40~17:10 バルーンパフォーマンス
17:20~17:50 城崎泉隊オンセンジャーミニショー&記念撮影
20:00~20:30 湯けむり太鼓ショー
がありますので是非いらっしゃってください!

 

↓温泉寺さんのFaceBOOK投稿より

  • 24日(水)
  • 10時~湯祈祷・稚児行列
  • 12時~道智上人 墓前供養
  • 大般若転読法要
  • ~豪華景品付きお餅まき
  • 14時~謡曲「温泉寺」奉納会(城崎 松声会)
  • と温泉湧出の恵みと、温泉守護のご加護に、感謝と祈りを倍増させる大切な日です。

4/24(水)は是非温泉寺本堂へ!
ご本尊の11面観音立像(奈良・鎌倉の長谷寺の観音様と同一木)が33年ぶりに御開帳されています。


昨年から3年間です。まだもう少しの間、参拝できますが、何度ご挨拶にいかれても良いと思います。
それがおわると、次は33年後。私が75歳の時。もう階段登れません。

私は天気の良い休日は娘二人を連れて(4歳と2歳)散歩がてら、と言っては失礼かもしれませんが、ご本尊に会いにいきます。
娘も次の御開帳は39歳と37歳ですからね。城崎にいないかもしれません。笑

城崎温泉には色々な伝統や文化があります。
その中でも最も大切なうちのひとつが「温泉まつり」です。
城崎のこころの源泉です。
これからも大切にしていきたいと思います。

とはいえ、難しい事は置いておいて、町民、豊岡の方々、但馬の方々、観光客。
みんなで温泉に感謝しつつ楽しい日になりますように!(-人-)!

商工会青年部城崎支部を卒部しました!(閑話休題)

私は平成18年に城崎町商工会青年部に入部しました。
13年前です。

それが平成22年に城崎町・竹野町・出石町・日高町の商工会が合併したことに伴って青年部も合併しました。

城崎町商工会青年部は豊岡市商工会青年部になりました。
その中で支部制を敷き、城崎支部として活動をしてきました。

商工会とは商業、工業、農業、観光業・・・
あらゆる中小企業の集まりです。
勉強会や事業承継、補助金の活用法を勉強したりする団体です。

青年部は上記はもちろん、地域振興も担います。

私は13年間、城崎という地域をどうすれば良いのか?

それを念頭において仕事も青年部活動も行ってきました。
住み良いまち、子どもに優しいまち、高齢者にやさしいまち。
もちろん城崎温泉ですから、観光客が楽しいまち。

書き始めると枚挙に暇がありません。

長くなるのでやめますが、たくさんの活動をしてきました。

 

そして40歳、卒部を迎えて思ったこと。
「楽しかった!」
もちろん色んな事業をするのが楽しかった!

地域の方々の笑顔にふれられて楽しかった!

お酒を飲むのも楽しかった!笑

 

しかし一番楽しかったこと、嬉しかったことは仲間ができたことです。
城崎の先輩。そして同年代。さらに後輩。
青年部に入ってなかったら知り合えなかった人達と事業や青年部を通じて仲間になれました。

城崎支部は卒部となりましたが豊岡市本部は45歳定年なので、あと5年間在籍します。
他地域の人と話すのも本当に面白い。
豊岡の仲間とも城崎の仲間と同じくらい仲良くなりたい!
地域間のギャップを埋めたい!

 

「建築」というキーワード、「観光」というキーワードで繋がり、共に協力したい!

そう思っています。

 

城崎支部の後輩達が記念品にとアルバムをくれました。
13年間の思い出がギッシリ詰まっています。
先輩・後輩もたくさん一緒に写っています。
本当に嬉しいです!

まだまだこれからも青年部として、地域人として頑張ります!

 

 

 

 

 

 

基礎工事が続きます。

さて、捨てコンクリートを打設すると墨出し。
建物の位置を原寸で捨てコンに出していきます。

そして配筋です。
今回は全部D13の鉄筋を使います。
「D13の鉄筋」とは直径13mmの異形鉄筋という意味です。


異形鉄筋というのはリブがついてボコボコしているという意味。
コンクリートとより密着して一体化するように異形鉄筋を使います。
ツルっとした鉄筋を「丸鋼:まるこう」と呼びますが現在は使いません。

 

昔の建物を解体した時に出て来ることはあります。

一般住宅の場合、D13とD10(10mmという意味です)を併用することが多いのですが、間違いの元なのでD13のみを使用しました。

配筋が終わると型枠を建て込みます。
今回は基礎ベースコンクリートを打設するので外周だけに型枠。


型枠をパイプで緊結していきます。
関西は角パイプを使いますが、関東では丸パイプを使うのが一般的。
なぜこのような違いが関西と関東であるのか?
本当に不思議です。

コンクリートを流し込むことを「コンクリート打設」といいます。
これはコンクリートを流し込んで「締め固めるためにタンピング(打つ)」からです。
コンクリート内の空気を押し出し、均一で詰まったコンクリートにするために「打設」するのです。


バイブレータ等を使いながら振動・流動させながら締め固めていきます。
それを左官屋さんが表面を均して作業は終わり。

今回もポンプ車でコンクリートを圧送します。
ポンプ車やミキサー車やクレーン車。
建設業にも働く車がたくさんあります。
その中で私はポンプ車が大好き!
機能美といいますか、ギミックが成す造形。
とてもかっこいい!

こうして無事に基礎コンクリートが打てました。
いよいよ木造建築の花形作業、建て方までもう少しとなりました。

住宅の新築工事が始まりました!

さて、この春は豊岡で住宅の新築工事を行っています。
設計はUTSUROI TSUCHIYA ANNEXでもお世話になりました、垣田先生です。
近畿大学建築学科でも教鞭を執られています。

つちやさんに頂いたご縁が繋がっているのが嬉しいです!

さて住宅の工事です。
G.L.(グランドライン:基準の高さです)を設定して、先ずは根伐り(ねぎり)工事です。

ユンボで掘り進めます。

※通称「ユンボ」と呼ばれる土を掘る機械ですが、元々はフランスの会社の製品呼称で、日本での正式名称は「バックホウ」といいます

 

掘る深さ等を確認するのはこの道具。オートレーザーです。
センサーから出る光をレシーバーでキャッチします。

これで深さの違うところも機械で手で正確な高さで掘り進めることができます。

 

 

深いところ、浅いところ。
床下の状況、柱・土台の状況で高さが変わります。

オートレーザーで高さを確認しながら掘削作業が終わりとなります。

次に、防湿のビニールシートを敷いて、「捨てコン」を打設します。

 

捨てコンとは、基礎や上屋の位置を正確に墨み出すためのコンクリートで、構造体には含まれません。
「捨てるコンクリート」の意味です。

しかしながら、本当に大切な役目を担う作業です。
昔からこの呼称が私は気に入りません!
(まあ私が気に入らないと言っても何も始まらないのですが・・・)
「位置出しコンクリート」とか「墨出しコンクリート」にすればいいのに!

トラ(トランシット)、と呼ばれる機械で捨てコンの上に墨を正確に出して行きます。

こうして基礎工事は進んでいきます。

続く

お風呂の改修工事をしました!

「THE!地元の工務店の仕事!」
というのに、住宅の水周りの改修工事があります。


住宅の中にある設備。
その中でやはり水周りはメンテナンスや改修が最も必要とされる部分です。
今回は浴室を改修。

既存のお風呂は昭和の作り付けの浴室。
タイル張りの床・壁にモルタル塗りの天井。
FRP(強化プラスチック)製の湯船。

これをシステムバスに改修しました。
従来の浴室は「ヒートショック」が起こりやすい。
ヒートショックとは、冬に浴室に入ると寒すぎて温度差によって身体に大きな負担がかかるということです。心筋梗塞・脳梗塞を引き起こすことも。

浴室でのリスクは交通事故の4倍!とも表現されるようです。

 

 

それを最新のシステムバスに更新することで大幅に改善されます。
加えて最新の住宅設備は高性能。
湯船の保温も20年前と比べ物にならないくらい向上しています。

今回は豊岡にショールームもあるタカラスタンダードというメーカーを選びました。
タカラスタンダードのウリは何と言っても「ホーロー」です。
鉄の表面をガラス化したものがホーロー。昔のホーロー看板と同じです。
キズ、汚れに強く、すぐ落とすことができます。
衝撃にも強い。磁石でひっつくので小物が壁に自由に取り付けできます。

工事は
・既設の照明、上下水道、ガスを外す
・浴室のタイル、浴槽を解体撤去
・床にコンクリート打設
・システムバス搬入・組立て
・電気照明、上下水道、ガスの配管接続
で出来上がり。
約1週間の工事で浴室が生まれ変わりました。

割と変わった仕事、特殊な仕事が多い感のある弊社谷口屋工務店ですが、もちろんこのようなベーシックな工事もお任せあれ。

旧知の協力業者さんとガッチリタッグでスムーズに工事を終えることができました。

お客さんは昔からの知人。

「祐輔くんにまかせるわ~」

この一言が本当に嬉しい。

そしてその反面、気持ちに応えたい!と強く思うのです。

ご縁で仕事をさせていただけるありがたさ。

本当におかげさまです!

久美浜湾の見えるお宿

年明けから京都府でお仕事をしています。

京都府と言っても城崎からすぐの久美浜。

久美浜湾が一望できる、一軒家の離れのお宿です。

保養施設で使われていたのが旅館に生まれ変わりました!

古い部分と新しいものを合わせる工事で色々と取り合いが難しい。

手前味噌かもしれませんが見事に蘇りました!

そしてなんと言ってもロケーション。

景色も客室の価値です。

小上がりから窓越しに眺められる久美浜湾は最高です。

小上がりの畳は城崎の月徳畳店さん謹製。

もちろんほかの部分も地元協力業者さんの力作となりました!

私が家族で泊まりたい!そんな客室ができました。

今年も城崎こども園で・・・

今年も城崎こども園の卒園記念タイル?を貼りました。

これは仕事、というよりも園長のお友達としてお手伝いという感じ。

一昨年から始めて今年で3年目になります。

アイデアマンの園長は幼馴染にして我が菩提寺の和尚さん。

こうやって色々なことをお手伝いさせてもらえることは単純に嬉しいことです。

世界に一枚しかないタイル。

落として割ったら大変なのでその役目は園長にお願いします。

私はタイルに接着剤をぬりぬり・・・。

夕方から貼る作業を始めて、降園の子ども達やご家族が眺めます。

卒園式を前に涙ぐむお母さんも。

こうやって地域に根ざした施設で何かできることは嬉しい!楽しい!

しかし貼ることのできる壁が段々なくなっていきます。

数年後には天井に貼ることになりそうです。

その時、どうやって施工するか考えておかないとなぁ。

私の娘も2人、城崎こども園にお世話になっていますのでわが子のタイルを貼る日が今から楽しみです!

平成30年度のぞう組のお友達、そしてそのご家族の皆さん!

ご卒園おめでとうございます!

遊具の工事が終わりました!

市内の2箇所にある市営住宅併設の公園の遊具の入替をしていました。
今年に入って、無事終了しました。
あとは検査を受けて書類を提出して完了です。

市役所の工事は本当に、本当に、本当に、書類が多いです。
もっと大工事ならいざ知らず、たったこれだけの工事なのに・・・

工事写真だけで50枚を越えます。
これに作業内容など記入して・・・


以前にも投稿した産業廃棄物の処分先のマニュフェスト伝票・・・

出荷証明書、保証書・・・

もちろん工事受注の必要事項ですので市役所の方に迷惑かけないように頑張ります!

 

 

 

余談ですが、前職の横浜のゼネコンに勤めていた時も八王子市の仕事をしたことがあります。
市営団地を作る工事。

↑googleストリートビューより。

18年ぶりに見ました!市営団地。懐かしい思い出いっぱいです。

 

 

4社JV(4社が1つの工事をひとつの企業体となって受注・施工します)だったのを思い出します。
こちらは1年半の工事で写真の枚数は1万枚を越えました。
しかも当時は公共物の資料はデジカメ不可だったのでフィルム写真でした。
今のようにデジカメで取って、エクセルに貼り付けて文字記入ではなかったんです。

フィルムカメラで撮れたかどうか(必要なものが写っているかどうか)わからないまま現像を待ち、写真をアルバムに入れて。文章も手書き不可だったので1文字1文字テプラに打ち込みウィンウィン印刷してはテープを剥がして1行づつ貼る・・・
今思い出してもぞっとする不毛な作業です。
二度と誰かが見ることのない資料つくりは一番下っ端の現場監督の仕事。
職人さんが帰った20時から事務所で26時くらいまで1ヶ月ほどかかりました・・・
もちろん土曜日曜祝日も休みはありません。
今では通用しない勤務形態ですね。

一番多い月で残業時間は220時間でした。

(残業代もらえるのは36時間分ですw)
本当に大変でした。でも我ながら良く頑張ったし、とても良い経験になりました!

あの頃に比べれば!今の資料なんて!楽勝楽勝~♪
そう思えるのです。

新建築掲載!

UTSUROI TSUCHIYA ANNEXが建築雑誌「新建築2019年3月号」に掲載されました!
一般の方には馴染みの薄いであろう、この建築雑誌。
建築関係者では最もポピュラーな雑誌です。
wikipediaによると、1925年(大正14年)創刊であり、毎月数百の作品の掲載依頼がある中で15~25件が掲載される狭き門だそうです。

大学の研究室や設計事務所、ゼネコンなんかにはズラーっとバックナンバーが並ぶ雑誌です。
そこにどど~んと8ページの掲載です。

また、「新建築OnLine」にも掲載されてます。

https://shinkenchiku.online/project/utsuroi-tsuchiya-annex/

 

余談ですが外装に使用したステンレスメッシュのメーカー「原金網株式会社」さんは自社HPに特設サイトまで作られています。笑

↓原金網の自社HP特設サイト↓

旅館&カフェ

 

設計士さんにも無断だったようで笑っておられました。

 

 

 

 

 

横浜のゼネコンを辞めて谷口屋工務店に就職して15年。
生業の小さな片田舎の工務店の仕事がこのように権威ある雑誌に掲載されることは本当に喜びです。
改めてお施主さんであるつちや旅館さん、設計の垣田先生とこのプロジェクトのメンバーの皆さんに感謝致します。ありがとうございました!

そして協力業者の皆さんにもお知恵を借り、共に汗をかき、竣工まで助けていただきました。
こちらも感謝感謝です!

掲載の中に「谷口屋工務店」の屋号が入っていることがまず嬉しいのですが、協力業者さんの主たる面子も屋号を入れていただいています。
そして私と弊社設計茨木、大工棟梁戸田は個人名まで。

私の人生の大きな名刺になりました。
大学の友人にも自慢できました。

この掲載に恥じない仕事をしたい!
改めてそう思うことができました。

私事ですが、40歳になりました。
論語でいうところの不惑の歳です。
「四十にして惑わず」
40歳になったらもう人生には惑わない、そういう言葉です。

しかし現実は惑ってばかりです。
毎日試行錯誤、トライ&エラーを繰り返しながら、それでも一歩づつ進みたいと思います。
人生まだまだ!これからです!

やはり機械は偉大!そして産業廃棄物のお話

さて遊具の発注が済んで2ヶ月。
ようやく納期も出たので現地の公園で解体作業が始まりました。
正直、人力でも解体できないものではないのですが、機械にて遊具を解体します。

 

やはり機械は偉大!

あっという間に遊具を解体し、基礎のコンクリートを砕きます。
重機を持ってくる、作業する、返す、だけでも意外とお金がかかります。
それでも人力よりも遥かに早いのは魅力です。
公園ですし、事故にだけは細心の注意を払います。

↑このコンクリート基礎で約950kgあります!

 

こうして基礎を撤去したら埋め戻し。
綺麗な柾土を入れておきます。

来週はいよいよ遊具の設置です!

さて、もうひとつ、産業廃棄物のお話。

昔は害のなさそうな物は簡単に処分できました。
しかし時代が変わり、今はそうはいきません。
産業廃棄物はキチンと処分しなければなりません。

当たり前の話、ですがちゃんと法整備されだしたのは20年くらい前でしょうか。
いきなり不法投棄の罰金が1億円になったんです!
とはいえ、それまでも不法投棄していたわけではありません。
当時は請求書の「処分費」の項目だけでもお客様も不満そうでした。
タダ同然だった処分費がかなり高くなってしまいました。

しかし、それも環境のため。仕方ありません。
さて産廃の処理はどうされているかご存知ですか?

我々が産業廃棄物を処理する時は、いわゆる普通の工事(民間工事)の場合は国の認めた廃棄物処理業者に持ち込む(取りにきてもらう)だけです。
品目(鉄、木、プラ、ボード、混廃、壁土、アスベスト・・・)ごとに目方(重量)や容積を量って処分してもらいます。
あくまでも産廃処理業者を信じて出します。

今回の市役所のような工事の場合は「マニュフェスト伝票」を使います。


この伝票に現場名や排出業者名を書いて出します。
この伝票はA~E票の複写になっていて、
排出事業者(谷口屋)
↓↓
収集運搬業者
↓↓
中間処理業者
↓↓
収集運搬業者
↓↓
最終処分業者

と産業廃棄物が誰が出して誰が運んで、一旦どこに集積して、また誰が運んで最終的にはどこに処分された、という履歴がわかるようになります。
そして最終処分されると、谷口屋工務店にA票が戻ってくる仕組みです。

一時はマニュフェストといえば政権公約の意味で使われることが多かったですね。
我々建設業者はマニュフェスト=産業廃棄物なので変な感じがしたことを思い出します。

少々面倒なこともありますが、やはりルールに則って作業するのは当たり前。
今回の解体業者さんが運んだ先は出石のecosさんで青年部の仲間の事業所でした!
こんなところにもご縁が!株式会社マツバラの道くん、早くA票戻してね!
市役所に出す書類に付けるから!

ベンチの座板を作ります。

さて遊具の設置をする公共工事をするのですが、その中にベンチの座板の交換があります。
唯一の大工の出番です。

古いベンチの座板は年数によってボロボロになっています。
これを交換していきます。

まずは桧の材料を削ります。寸法に合わせて木の曲がりを解消して製材です。


座った時、触った時に角がないように、面を取ります。
この道具、面を取る専用の鉋(カンナ)です。


色々な大工道具があります。
もちろん普通の鉋でも面を取ることはできますが、この道具を使えば16本、4台分の座板全てに同じ面を取ることができます。
大きめに面を取り、ペーパーをあててなめらかに仕上げます。

そして塗装。
屋外用の塗料を1回塗って乾かし、もう一度塗って仕上がりになります。

これで完成!
もう少し乾かして現地に設置します。

遊具のお話

昨年末に豊岡市の指名入札で落札した工事があります。
それは市内2箇所の市営住宅に設置されている遊具の入替や撤去の工事。

老朽化した遊具を撤去し、新しい遊具を設置します。
建築工事と言えるのか?
非常に微妙です。
ですが受注したのでちゃんと設置します。

現状を確認し、新しい遊具を発注。
遊具メーカーに話を聞くと、設置に伴う条件があります。
「保安距離」の規定です。
スベリ台だったら、○m以内に硬いもの(例えば電灯の柱であるとか)があってはならない、スベリ下りた場所が安全でなくてはならない等。

遊具には「保険」があるのです。
つまり設置するとメーカーと市に責任が発生するということなんですね。
「もしこの遊具で重大な怪我等が起こった場合」
の想定で、なくなった場合は最大5億円支払われるそうです。

だからこそ、設置の基準・ハードルが高い。
もちろん遊具本体も保険の分値段が高くなります。

今回2箇所の市営住宅ですが、入替もありますが、撤去する遊具もあります。
高い設置費使って訴えられるリスクなんて取りたくないですもんね。
そりゃあ豊岡市に限らず全国の自治体が遊具を設置したくない気持ちになると思います。

我々が子どもの頃、平成が始まる前後は城崎小学校には「裏山アスレチック」がありました。毎日昼休みに行っては駆け回ったのを思い出します。
確かに怪我をしたこともありました。
今思えば、骨折くらいしてもおかしくなかったかもしれません。
しかし楽しかった。本当に。

今はもう城崎小学校に裏山アスレチックはありません。
どこか、有料の施設でヘルメットをしないと遊べないんでしょうね。

時代の流れと言ってしまったらそれまでですが。
しかしもう少しおおらかなバランスを取って遊具が設置できないものかと思います。
しかし私も2児の父。
確かにどこかの遊具で娘が亡くなるようなことがあったら・・・
そう想像するとない方が良い気持ちになります。

そうして今の子どもは電子ゲームやYOUTUBEでしか遊ばなくなるんだろうな・・・。

工事を受注して、なんだか考えさせられました。

とはいえ、2箇所の市営住宅にキッチリ遊具設置していきたいと思います!

城崎ルール

工事の仕事をしていると、各地域でルールが違うことがわかります。
今日はそんなお話。

家屋解体の「城崎ルール」についてです。
まずはじめに前提を書いておきます。

城崎温泉は木造家屋密集地ということ。

その理由の大きな部分は1925年5月23日に起こった「北但(ほくたん)大震災」で大半の家屋が倒壊・焼失したことに起因します。
震災からの復興で多くの建物が同時期に建設されました。

地震後に大火災に見舞われた経験から各家が土地を提供して道路幅を広げました。

(これは画期的なことです!)

元々狭かった家屋の土地を道路拡張に提供したことにより、居住スペースは上の階に伸びることになります。三階建木造建築群の誕生です。

連なった家には(両端の家を除いて)各戸毎の外壁がありません。

寄り添うように建っている建物が数多くあります。
本当に隣家と接しているんです。

自分の家の柱と隣家の柱が仲良く並び、お互いに外壁がない状態です。

隣家との隙間だけ鉄板で塞いであったり、モルタルで塗られていたり。まるで長屋のようです。

現代では考えにくい話ですよね。

ですから、家屋解体が発生した場合、両側の家の外壁がなく、柱が丸見えになってしまいます。

そこで「城崎ルール」の登場です。
城崎では「自分の家は自分で直す」というルールがあるのです。

他の地域では、解体した方が隣家の外壁まで工事される地域もあります。
折半する地域もあると聞いたことがあります。

しかし城崎ルールは自分の家は自分で直す。

隣家の都合により、いきなり外壁修繕が発生することもあり得るので大変です。

今回もそんな事案があったのでお客さんと相談して施工します。

安い方が良いのは当たり前だけれども居住性、メンテナンス性、見た目・・・

バランスをとった提案を心がけます!

~余談~
ちなみに私の実家は谷口屋遊技場。
秋祭り等で両隣の家にあがることがあったのですが、私の家を含めて3軒、ほとんど同じ造りです。間取りがソックリです。
震災復興時に谷口屋工務店で建てたのだと思います。
似たような、間口・奥行き。
エイヤッ!っと同じ仕様で祖父が建てたのかな?
時代ですね。
今ではそんなこと考えられません。
震災、大正の時代、震災からの復興。
色々なことが絡み合って今の城崎温泉のカタチを作ってきたということを感じます。

始業とインフルと久美浜湾。

新年、改めましておめでとうございます。
今年は私は前厄の歳になります。
本日1/14成人の日に氏神である四所神社にて厄除けをして頂く予定です。

 

さて始業したわけではありますが、大工の1人がインフルエンザ。
今年は城崎はそこまで流行っていない気がしますが、豊岡は多いそうです。

私は家族で予防接種を受けているので大丈夫です!

(病は気から!信じるものは救われる?)
皆さんもお気をつけください!

 

おかげさまで新年もたくさんの案件をいただいています。
久々に県外(!)の仕事も!
と言っても三原峠越えただけの京都府、久美浜なので車で30分ほど。

古い別荘の改造です。
詳細は書きませんが、また断片的に書いていこうと思います。

冬の久美浜湾はとても綺麗!
この日は曇っていましたが、晴れると神々しいほどです。

 

今年は雪が降らないのが本当にありがたいです。

このまま節分寒波も難なく過ごせますように(-人-)

ひとつひとつ、大切に仕事していこうと思います!

平成最後の年の最初の記事

年の初めで何を書こうかと思案しています。

今更ですが、ちゃんと自己紹介をしてみようかと思います。

六浦祐輔(むつうらゆうすけ)です。
父の跡を継いで谷口屋工務店をしています。
元々は谷口屋遊技場のある元町が実家です。


今は妻と娘2人と旭町の会社の横の家に住んでいます。

生まれはもちろん城崎温泉で、高校卒業まで18年間城崎に住んでいました。
井の中の蛙は大海を目指して大学受験!
するも、見事失敗して京都市での1年間の浪人生活を経て横浜の関東学院大学建築学科に入学しました。

関西の私学に建築学科のある大学が少ないということが理由ですが、関西圏を離れることになったのは私の人生の転機だったと思います。
もちろん良いか悪いかはわかりません。

関西と関東の雰囲気が違う感じ。
城崎温泉を遠くから見ることができる期間はむしろ私の郷土愛を深めてくれました。
改めて、城崎温泉の良い部分・悪い部分を感じることができたことは大きなことだったと思います。

大学卒業後は松尾工務店というゼネコンで2年働きました。
たった2年ですが、本当に濃密な時間を過ごしましたし、「社会人」の礎の期間です。
そして26歳で城崎に帰り、谷口屋工務店で働いています。

仕事以外でも城崎に携わることもしています。
商工会、観光協会、消防団、工業会、・・・
大変なことも多いのは事実ですが、やはり街の方と接する、観光客の方と接する機会は貴重ですし、色々な面で役に立っています。
これまで私の祖先がお世話になってきた地域に恩返しをしたいですし、私の子ども世代や子孫の為に少しでも良い街にするお手伝いができることを嬉しく思っています。

趣味はロードバイクです。
坂を制覇したり、のんびり走ったり。
身体を動かして汗をかくのは趣味でも仕事でも楽しみです。


去年、ゴルフも始めました。
ずっと敬遠してきたスポーツですが、コミュニケーションツールになると信じてはじめました。
まだまだ下手くそなので趣味といえるかどうかはわかりませんが・・・。
少しずつでも上達すれば良いと思っています。

ということで今更な自己紹介でした。
正直、子どもの頃は自分が大人になってこんなに城崎温泉のことが好きな人間になるとは思っていませんでした。
この地に暮らすことができ、この地で仕事することができ。
家族や社員や街の人達や観光客の方々の笑顔に触れていける人生にしたいと思います!

あけましておめでとうございます!

あけましておめでとうございます!
平成三十一年の幕開けです。
今年も何に対しても積極的に向き合い、一所懸命頑張ります!
何卒、昨年と変わらぬご愛顧とともにご指導ご鞭撻賜りますように宜しくお願い申し上げます。

平成三十一年 元旦
株式会社谷口屋工務店
代表取締役 六浦祐輔